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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

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箱木千年家・主家の内覧

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 もう少し補足情報として、ウィキペディアを参照してみました↓

 この建物は、1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定された。

 なんとその後の1977年(昭和52年)までは、実際に住居として使用されていたという。しかし、呑吐ダムの建設により旧所在地が水没するため、1977年から1979年(昭和54年)に掛けて、現在地に移築された。

 名称の「千年家」は、「古い家」の意で、実際の建立年代は不明であったが、移築時の調査により、室町時代と推定されている。

 もちろん長年の間に多くの部材が取り換えられているが、柱などの根幹材には当初の部材が残存している(当初からの部材で残っているのは柱6本のほか、桁、梁、貫などの一部)。

 さすがに小さな窓があるだけの家なので、目が慣れるまではずいぶん暗い。入口の先は広い三和土になっていて、さっきの壁際の流しが、まず目に入る。

 水桶や瓶などの台所用具が並ぶ。

 流しの後ろには、素焼き?のおくどさんが設置されていた。

 蒸し器などもある。壁には大きなノコギリも掛かっている。

 あ、砧だ!(いや、そんな驚く程のものでは・・・)

 三和土と板の間の境目。重要な境界線のように、柱がその間に伸びている。

 ズームしてみる。

 三和土から上を見上げると。

 うわあ、下から見ているのに、目がくらみそう。

 壁と屋根の境目はこんなかんじ。

 三和土と板の間の間は、こんな風に天井が変化している。板の間の天井は平で低いのだ。

 部屋の中から軒先をみた。

 竹以外の頑丈そうな丸太も、等間隔で使われているようだ。

 板の間は、窓の無い奥の部屋なので、肉眼ではどうにも暗い。灯り無しではたいそう不便だ。

 なにしろ豪族の住居なので、調度も当時としては贅沢なものだったのだろう。

 そもそも板の間があるというだけで、もはや庶民ではない(らしい。うろ覚えで申し訳ないです・汗)。