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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

信州のようなハイキング

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 またもや登りの道で、必死に足を持ち上げながら、石段をぜいぜいしながら上がって行く。でも、緑が感動的にうつくしい。まさに目に青葉。やはり徒歩にして正解だ。山の中の道を抜けると、明るく視界がひろがる場所に出る。

 青空、白い雲、羊歯の土手、風にそよぐ紅葉の木。おまけに空気は爽やかで、風はひんやりと心地よい。

 道しるべをたどっていく。

 ゆるやかな坂道を、列になってのぼる昭和の乙女たち。左手には茶畑。茶畑にでは、お寺の建物がなくなったのに、どこを見るの?ということになってしまいそうだけれど、ご安心詳しいOさんが、なぜかお茶は山の上の、開けた斜面でないとうまく育たないと教えてくださった。

 空気の澄み方が高原のよう。そういえば、この風の爽やかさは、信州に似ている。

 いや、もはや景色すら信州めいている。バスで1時間半の「なんちゃって信州」だ。

 と思っていたら、観光看板に遭遇。いやいや、ここは「湖北の観音の里」であることを、思い出させてくれた。

 青紅葉が見事な「鶏足寺跡」に到着。不思議な寺名の由来は、話せばちょっと長くなる。

 奈良時代東大寺の建立に貢献した行基と泰澄の二僧が、近江の鬼門にあたる己高山(こだかみやま)に十一面観音をまつり、「常楽寺」というお寺を草建したのが始まり。

 時を経て、延暦寺を開いた伝教大師最澄が、行基菩薩の聖跡を慕って、このあたりまで来られ、不思議な鳥の声とその足あとに導かれて進むうち、すっかり朽ち果てていたお寺の跡に、十一面観音のお像を見つけたのだそう。

 その後、鶏足寺は、室町時代には僧坊百二十宇と記録されるほどの大伽藍(がらん)持った大寺院になるも、その後は衰退。現在は昭和八年に焼失してしまった本堂を含め、己高山の山中に、いくつかの建物跡や墓地庭園などの「跡」を残すだけだ。飯福寺は鶏足寺別院のひとつ。

 「鶏足寺」で有名なのが、ご本尊の十一面観音像(重要文化財)。この観音様を含め、かつて鶏足寺にあったお像は、現在、己高閣(ここうかく)、世代閣(よしろかく)という宝物館に納められている。それらを目指して、なおも進む一行であった。