西野水道
ラストは「西野水道」という史跡。田んぼの中の史跡公園だ。
「西野水道」は、余呉川がたびたび氾濫するので、琵琶湖に放水路をつくらねば、と在所の僧・恵荘が天保11年(1840年)に掘削しはじめた。難工事だったが、村人たちと力を合わせ、1845年(弘化2年)9月1日に完成した。
団体だからいいものの、ひとりで来るには、ちょっと身のキケンを感じるような寂しい場所だ。
近くの小屋にヘルメットと長靴、そして懐中電灯があるので、自由に借りて水道内を歩いていくことができる。
私を含め数人はパスしたが、意外にも多くの方々が挑戦したようだ。
故・児玉清さん風にいえば「果敢にアタックされる」方々に拍手。
下は新しく作られた水道。どちらも琵琶湖に出るそうだ。古い方と新しい方は平行に抜いてあり、往復する先でトンネルを変え、両方を通られた方もおられる。
私はムカデ(もしかするとヘビとかも)のいそうな感じと、「トンネル」という場所にあまりいいイメージがないので、迷うこと無くパスよ、パス!
「掘削」というイメージではないが、ちょっと垢抜けたモニュメントが目立っていた。
「豊かなむらづくり農林水産大臣賞」を受賞した記念に、ポストプライズ事業により、『西野ほりぬき公園』のメインシンボルとして、この象を建立した」
むしろ、やや地味なこちらの方が「掘削」をストレートにあらわしている。
トンネルを抜けないと、ずいぶんヒマなので、片っ端から看板を読む。
年譜も。
周辺地形図や水道の概要も。
そうそう、「大臣賞」で作られたモニュメントに近づくと、「西野水道のうた」が流れていた。
楽譜付きなので、一緒に歌えということかもしれない。
なんどもこのモニュメントを見上げては、珍しくひまを持て余し気味だったので、いろんなアングルから写真を撮ってみた。このアングルからなら、全員の存在感が感じられた。(どんだけヒマやったんや!)