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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

西野水道

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 ラストは「西野水道」という史跡。田んぼの中の史跡公園だ。

 「西野水道」は、余呉川がたびたび氾濫するので、琵琶湖に放水路をつくらねば、と在所の僧・恵荘が天保11年(1840年)に掘削しはじめた。難工事だったが、村人たちと力を合わせ、1845年(弘化2年)9月1日に完成した。

 団体だからいいものの、ひとりで来るには、ちょっと身のキケンを感じるような寂しい場所だ。

 近くの小屋にヘルメットと長靴、そして懐中電灯があるので、自由に借りて水道内を歩いていくことができる。

 私を含め数人はパスしたが、意外にも多くの方々が挑戦したようだ。

 故・児玉清さん風にいえば「果敢にアタックされる」方々に拍手。

 下は新しく作られた水道。どちらも琵琶湖に出るそうだ。古い方と新しい方は平行に抜いてあり、往復する先でトンネルを変え、両方を通られた方もおられる。

 私はムカデ(もしかするとヘビとかも)のいそうな感じと、「トンネル」という場所にあまりいいイメージがないので、迷うこと無くパスよ、パス!

 「掘削」というイメージではないが、ちょっと垢抜けたモニュメントが目立っていた。

 「豊かなむらづくり農林水産大臣賞」を受賞した記念に、ポストプライズ事業により、『西野ほりぬき公園』のメインシンボルとして、この象を建立した」

 むしろ、やや地味なこちらの方が「掘削」をストレートにあらわしている。

 トンネルを抜けないと、ずいぶんヒマなので、片っ端から看板を読む。

 年譜も。

 周辺地形図や水道の概要も。

 そうそう、「大臣賞」で作られたモニュメントに近づくと、「西野水道のうた」が流れていた。

 楽譜付きなので、一緒に歌えということかもしれない。

 なんどもこのモニュメントを見上げては、珍しくひまを持て余し気味だったので、いろんなアングルから写真を撮ってみた。このアングルからなら、全員の存在感が感じられた。(どんだけヒマやったんや!)