持光寺
本人の気づかないうちに延命パワーを授かって、門をくぐる。
帰りもくぐったから、2倍のパワー。
持光寺は、平安時代に伝教大師(最澄)の高弟・持光によって草創された天台宗の寺院。本尊は聖観世音菩薩立像。
しかし、南北朝時代・足利義満の頃、本尊に立像の来迎・阿弥陀如来を迎え、浄土宗に改宗する。京都は東山の永観堂 浄土宗西山禅林寺の末寺となる。そして江戸時代、徳川5代将軍綱吉の頃、五劫思惟の阿弥陀如来を迎えている。
五劫思惟の仏さまって、自分の髪を切るのも忘れるほど「どうしたら人を救えるのか?」と考え続け、アフロのような髪型になった仏さまである。なんと、この阿弥陀如来さまに一度お参りすれば、最高位の「極楽浄土に至らんこと、何の疑いもなし」と書いてあるではないか!
死後は絶対安泰ということなのか。それはすごい!
そうそう、粘土でつくる「にぎり仏」がつくれることでも有名なお寺で、作った後は住職が「心をこめて焼き上げ送付」してくださるようです。
持光寺について、コンパクトにまとめたサイトはこちらを参照↓
枝垂れ梅が咲き、モクレンの蕾が膨らむ境内へ。
平田玉蘊(ぎょくおん)も尾道のひとだったんだ。玉蘊は江戸時代の女性画家。持光寺は、彼女の菩提寺だった。
彼女の絵が入った石碑も。
立派な屋根の鐘楼。
りっぱなシャチホコと鬼瓦がついていた。
あれ? お寺なのに、狛犬が威嚇していた。
こちらはちょっと腰が引き気味かも。
小振りでアットホームな感じのお寺だった。残念ながら、本堂は閉まっていたので、直に阿弥陀如来様とは対面出来なかったが、外からそっとお参りする。
玉蘊の好きなソテツもある、きれいに手入れされた境内だった。
本堂の大屋根には、立派な鬼瓦に、
ちょっと剽軽な鬼瓦も。
ふたたび、延命門をくぐる。なんだかワクワクするのは、やはり石のパワーのおかげか。
最初の石段をくだった先には、両側に石柱。読めないけど、善なるものは通れるけど、
すべての悪は、ことごとくストップされる門、ということかな?
この石柱のある場所から、さらに石段は続くのです。ほらね。
しかも最下段には、なんと踏切! 滋賀県では考えられないシチュエーションだ。ここでも尾道カルチャーショック。
しかし、横手をみれば、(たぶん)廃屋の荒れた庭に、ユキヤナギや沈丁花が咲き乱れていた。こういう風景は、なぜかちょっと和む。
それにしても、石段の下が踏切って・・・なんというか、新鮮でした。