「武相荘」の裏庭を散策
「武相荘」を出て裏庭を探検。
石灯籠。
竹林を背にして三重の石塔がある。そばには竹の皮がまだついている竹がのびていた。
この石塔の下には、次郎の遺髪が埋められているそうだ。埋めたのは妻の正子。さきほどテレビの録画で見たばっかり。
もっと奥に続く、石畳の遊歩道がある。
入り口には「鈴鹿峠」の石標。いやいや東京で「鈴鹿峠」って(汗) なにを思って正子さん?
子どもたちが小さい頃、家族で三重の津や伊勢までドライブして家族旅行をしたことがあった。そのときに鈴鹿峠を通ったけど、ここにさしかかると、急に雲行きが怪しくなり、いきなり土砂降りになることもあった。なんか特別の地場があったような気がする。
ほんとに、まるで山の中にいるようだ。
擬宝珠のついた石のモニュメントが、木漏れ日を浴びていた。
ちいさなコテージのような小屋が見えた。陶芸をされているらしい牧山さん(桂子さんの夫君)の作業所なのかな?
高床の下には、薪がどっさり保管されていた。たぶん窯焚き用のものだろう。H氏の、うらやましがる顔が眼に浮かぶ。
高みまで上ったので、引き返します。下りはゆっくり慎重に。
こんなところに石仏が! それもお地蔵さまではなく、阿弥陀さまっぽい。
いったいどちらから・・・(汗) でも緑の中、これはこれで意外に居心地はいいのかも。
次郎と正子のテイスト
武相荘内部には、白洲次郎氏が戦後、連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、連合国軍最高司令官総司令部と渡り合った資料などが展示してあった。GHQに対し唯一、一個人の人間として、誇りを持って本音で一喝できた日本人である。白洲正子さんメインで来たはずなのに、いきなり次郎さんにズギュンである。しかもチョーイケメン。ビジュアルも中身も格好良すぎ。しかも、英国に留学した不良の坊ちゃんだ。これは正子さんが惚れて当然。
晩年、彼が入院していたとき、看護士さんが「右利きですか? 左利きですか?」ときいたとき、「右利きです。でも夜は左(左党=酒飲み)」というお茶目な面もある。彼が常連だったコーヒー豆売りの人は、彼のことを「かっこいい、冗談好きのおじいさん」と言っていたとか。不良で、忖度すべき相手にも言うべきことは言って、地位も名誉も執着せず、しかもお茶目。当然、モテモテだったようで、同性からは「彼は悪い人間ではないんだけど、いかんせんモテ過ぎます」という意見もあったようだ。
そして一方、正子さんのもので私が心を奪われたもの。着物や小物やアクセサリーなどの展示を忘れてしまうほど、私が気に入ってしまったのは、正子さんの書斎。
ご自宅なので、しかも2階は立ち入り禁止だったので、わずかなスペースだったけど、奥の畳敷きの部屋があり、窓に面して少し板張りになった場所がある。元は農家の作業場だったようだ。そこに机を置き、両サイドに本が積み上げられていたりする。正子さんが、「家で一番落ち着く場所」とおっしゃっていたのもうなづける。ちょっと懐かしいような気配が濃厚に漂っていた。いつまでもいたくなる場所だった。
絵はがきで雰囲気を少しでもわかっていただければ ↑
次郎さんの著書より引用 ↓
「新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が象徴とかいう形で残って、法律的には何というのか知らないが政治の機構としては何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法ができ上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。マッカーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」(『プリンシプルのない日本』より)
彼らのお嬢さん、桂子さんが、「この家で次郎と正子のテイストを感じていただければ、うれしい」というようなことを書かれていたが、はいはい、じっくりとお二人のテイストを味わい尽くしました。センスがよくて、いい意味で育ちがよくて、でもかなり不良で、しっかり自分を持ってあまりあるくらいで、とてもお茶目。ふたりに共通のテイストでした。
白洲さんのおうち
白洲正子さんがご存命の頃から『芸術新潮』などで一目置いていたので、ご逝去されたときには軽くショックだった。でも長らく寝たきりの末よりは、よかったかも。次郎さんやご友人たちと同じ場所に逝くのは、もしかしたら楽しみですらあったかもしれない。
しかし白洲正子さんとの衝撃的な出会いは、彼女なきあとおこなわれたミホ・ミュージアムのオープニングイベント『白洲正子展』により、注目度が拡大した。彼女の愛用した遺品や、彼女が叱咤激励し応援した工芸家の作品など、すべてが私のツボだった。それだけではなく、いままでギラギラして品のない工芸品と思っていた螺鈿細工も、彼女のお眼鏡にかなった逸品を拝見して、螺鈿の素晴らしさに開眼したのだ。
「武相荘」についてはオープンするときから知ってはいたけれど、なかなか訪れる機会はなかった。でも「いつか必ず」と常時虎視眈々と狙っていたのではある。
そして今回、ついにその機会が来た! やっと来た来た、やっと来た!のである。
最初に、屋根付きのオープンテラスのような場所で、いきなり休憩。
ここは、故・ 白洲ご夫妻と「武相荘」を扱った番組録画が流されている(昔のEテレの『日曜美術館』だったと記憶している)。それを拝見したら、「武相荘」の予習ができるのだ。とてもいい番組なのだった。
しかし恋人時代に次郎さんが、正子さんに贈った甘い言葉を、亡くなってからもテレビで吹聴?されるのは「やだなあ」と次郎さんは思っているかも(笑)
いかにもしっかりした作りの家具たちのなか、やはり存在感があまりあるのはこれでしょう。
私は車にまったく興味がないから、価値も良さもわからないけど、存在感はすごい。もしかしたら、ルパン三世が乗ってたやつですか?くらいの、的外れなことしか言えない。(ちなみにルパン三世が乗っていたのはベンツSSKやアルファロメオらしい。この車ではない)
でももちろん次郎さんの愛車本体ではない。ほぼ同じ物を、NHKのドラマ『白洲次郎』出演のため、わざわざ英国から輸入されたものだ。埼玉の「ワクイミュージアム」のご厚意により展示されている、とも書かれていた。
絵はがきに車の内部写真があったが、次郎さんなみにカッコいい。車に全く興味のない私でさえ、そう思う。
ラストまで番組を見てから、行動開始。
おおきな門がある。おおきいけれど威圧感はなく、さっぱりとおおらかだ。
これこれ、臼を新聞や郵便物をいれる容器にしたもの。雑誌でこれを見て、すごく気に入って私もまねをした。赤ちゃんのお風呂用みたいな木桶を、大型郵便物入れにした。ただし軽い物は風で飛んで行くので、重しが必要。
門をくぐって、みどりのなかへ。
こちらはオープンデッキ。藤棚もある。心配は、花が咲いたときにハチがこないかどうか。遠目にはきれいなんだけどね、紫の花房の下でティータイムって。現実は、そうそう思うようにロマンチックにははいかないものだ。
こちらの白いステキ建物は、お食事もできるカフェ。私はスルー。今回は「リリエンベルグ」に飲食店代マネーをつぎこんだから。
幅広の石畳道が素敵。石畳って、子どもの頃から好きだった。・・・って、どんな子どもや。
不思議な帽子のような藁葺き屋根の家に行き当たる。これが改築された民家「武相荘」だ。
寿の文字が屋根のてっぺんに乗っかっている。こういうところ、正子さん好きだったろうなあ。
苔むした藁葺き屋根と、長い縁側。
では、はいります! よござんすか。 よござんすね!
自然なアプローチを歩く。
お店を出て再度バスに乗り、小田急の新百合ケ丘駅に戻る。そこから鶴川へ向かうのだ。鶴川までは各停で2駅。電車が来るまで少々時間があるので、駅構内の立ち食いの「箱根そば」をたべて、ランチ難民対策の保険にしておく。
鶴川駅はちいさいのだが、駅前におしゃれな花屋さんがあったりして好感度が高い。ここで下車する観光客のひとたちの目的地はたぶん一緒かも。故・白洲次郎・正子ご夫妻の終の住処 「武相荘」だ。バスの時間がすいぶんあくので、歩いていくことにする。
途中で町田市の花であるサルビアをデザインしたマンホールや、
途中の郵便局で風景印も取得。徒歩の副産物。
あれっ? 新百合ケ丘は神奈川だったのに、町田市鶴川は東京に戻ってる!
静かな町中から山方向へ。ここからまたしても道に不安を感じ、ごくまれに出会うひとを捕まえては道をききつつ、歩く歩く。
この看板が見えたときには、やっと心休まった。
白洲ご夫妻のお嬢様である牧山家の門柱の上で、シーサーが出迎えてくれた。
ここはまだ駐車場。
ここからが案外長いのだ。でも沢山の植物たちの歓迎をうけられ楽しい自然散策になる。
まずはドクダミさんたち。いいなあ、のっけからドクダミさんから始まるなんて。
ドクダミ × ウツギ(たぶん) × 昼顔 その他1種
けなげな草花たち。
前方に竹林発見! ここでタケノコが採れるなあ!(おもわず食い気に・・・)
この道のカーブのラインが、なんとも魅力的。
竹林にはあちこちに石が置かれていた。自然石ではなさそう。わざわざ置いたんだろうな。
竹のすきまから見える紅葉のあおさが見事。
下から見上げると、さらに美しい。
これはどこかで見たことがある。竹に石はたしかにマッチするけど、ここに手水鉢を置くと、ヤブ蚊天国になりかねない。(まだ大丈夫でした)
静かな散歩道だ。ここを正子さんが散策して思索を巡らせたり、ひらめきを得たりしていたと思うと感慨深い。やはり正子ファンの聖地だな。
竹林の細道を抜けると、
板でつくられた遊歩道になる。よく尾瀬や湿原にあるようなもの。
黄ショウブの群生を発見。
普通のあかるい紫のショウブもぽつりと。
ひっそりと、こぼれ種らしきクレマチスが地を這っていた。
オオヤマレンゲ開花中! 泰山木に似ている。
蕾は蓮のように優雅で、気品にあふれている。
なんともいえないほのかなピンクも、初々しくて美しい。
白鷺のように白いはばたき。
やっとゴールが見えてきた。
蓮の鉢の横には、最後の段々。
目的地にやっと到着! やれやれ。
リリエンベルグは200点♡
木製家具が基調のシックで落ち着いた雰囲気。メニューは手書きで丁寧で凝っていて、ここぞ!というところで集中してこだわりがある。奥には二人差し向かいのテーブル席がいくつも。わざわざ大テーブルにしたんだけど、ここは窓側で明るい。
ケーキはビジュアルを重視して「てんとうむし」に。
「てんとう虫がからだにとまると幸せがやってくる」という言い伝えもあるラッキービートル。一方で「不幸や災いを持ち去ってくれる」虫ともいわれている。背中には四葉のクローバーが乗っていて、ダブルにラッキーだ。
アーモンド型の焼き菓子は、素敵なおまけ。
断面図です。ふんわりムースと甘酸っぱいベリーソースの、なんとも軽やかなハーモニー♡ いくつでも食べられそうな、ほんのりとした甘み。恐ろしいほどに美味しい。口の中は幸せの極致。
なので、もうひとつ追加注文してしまいましたよ♪
日向夏のゼリーとはちみつムースのハーモニー、「ハニーハント」! 私は、日向夏や小夏には無条件降伏なんだけど、ビジュアル的にも素晴らしい。
ハチさんのおしりのクリームの針に注目!
ところで、同じテーブルの向こう側にいた乙女二人が、どうやら「リリエンベルグ」の大大ファンらしく、ずーーっとここに来るのを夢見ていたらしい。遠方よりこられたのだろう、「夢に見ていたケーキが目の前にあるなんて・・・」と感動しつついただいておられた。
レジ付近の棚には、焼き菓子のお持ち帰り用パッケージが並んでいる。それをながめながら、片方の乙女が、リリエンベルク・トリビアを語る。
「普通、焼き菓子の詰め合わせって、細い紙が敷き詰められていて、上げ底になっていたりして、見栄えはいいけどちょっとしか入ってないじゃない? それはさびしいからって、ここでは紙のパッケージや透明の薄いプラスチックの容器にぎっしり入れてあるんだって。お菓子にも、お客さんに対しても、愛があるよねえ!」
うわ〜! 小耳にはさんだ話に感動してしまった。Kちゃんに焼き菓子の詰め合わせを送ってあげなきゃ。
お会計をしてカフェ部門を出る。ずいぶんな手間ひまをかけて、手のこんだ仕事をされて、素材を厳選しているだろうに、「ええっ!?」と思うくらい普通のお値段だ。安くはないけど、バカ高くもない。たまにスイーツの高級店では「うそうそ!!」と思うようなお値段のお店があるけれど、ここでは、「いいんですか??」と思ったくらい。
それはショップ部門も同様だった。
私がとくにお気に入りだったフクロウ型の焼き菓子は、
厚紙で作られたパッケージデザインが秀逸。形も複雑だし絵も洗練されている。
ひとりだけ花をくわえているのが、心憎い演出だ。買いやすい価格で、こういう気の利いたものがあるのは、とてもうれしい。もちろん、美味しかったことはいうまでもない。
ショップでもご一緒した乙女二人組は、「わあ〜!」 「これもかわいい! こっちもいいなあ!」 「もう、ぜんぶ買いたくなってしまうね!!」と、うれしい悲鳴をあげておられた。
味、お店、スタッフさん、建物、雰囲気、すべてにおいて100点満点中200点だった。理想中の理想のお店。すべてが私の想像をこえた素晴らしさだった。
そうそう、もしも「リリエンベルグ」に行かれることがあれば、ぜひトイレにも入ってみてくださいね! 新しくはありませんが清潔で居心地がよく、タイルの飽きのこない可愛い絵に感動しますから!
あこがれのリリエンベルグへ!
やっとやっと24日、東京3日目の最終日の朝にたどりつけた。
上の写真は昨夕の、ホテルの窓からの風景。
やはり昨日の疲れが残っていて、いまひとつの体調だけど、動いているうちになんとかなることがわかっているので気にしない。ローカルニュースを見て、天気予報をチェックする。
今日も、けっこうな暑さになりそう。
もしかすると丘陵地域で緑の多い都市。ズームすればホテルの窓から鉄道も見られる。
エキナカのイートインできるパン屋さんで、モーニングセットをのんびりと。通勤通学の皆さん、ごめんなさいっ!とガラス越しに駅を急ぐ人々をながめつつ。
新百合ケ丘駅前には、こんなモニュメントがあった。樹上で百合を捧げ持つ異形の人たち。
9時前にチェックアウトして、まずは風景印取得のため、駅裏の道を1時間ばかり歩く。
麻生郵便局の風景印には、なんと富士山のてっぺんが描かれていた。局員さんに聞いてみたら「高いところに行ったら、ここからでも富士山がみえるんです」とのこと。わああ、富士山づいてるなあ!
まだ1日は始まったばかり。体力温存のため郵便局前からバスに乗り駅まで戻る。バス停2駅分の距離だった。駅前からふたたびバスを待つ。
ドイツ菓子の有名店「リリエンベルグ」に行くためのバスだ。ここは長年にわたって行きたかったところなので、わざわざホテルを新百合ケ丘に取ったくらいだ。若干のバス停を通りすぎた後、ちょうどオープンの時間に到着する。
開店数分後というのに、駐車場整理のお姉さんが順次車を誘導されていて、店内のショーケースの前には、すずなりの女性客がいた。すごい人気店なんだ!
まるでジブリアニメから抜け出たようなビジュアルのお店! 可愛すぎます!!
向こうに見える三角屋根はカフェ部。
ショップのエントランスには、グリーンがいっぱい! お店の方の近況メッセージボードも。お店のマスコットはクマさんとフクロウさん。
感動的なエントランスと入り口!
駐車場前のコーンもかわいい! むろん手作り。
実は20年近く前の家族旅行で、お店の前までは行っているのだ。その頃Kちゃんがハマっていたフォト絵本「やってみたいなこんな仕事 ケーキ屋さん」が「リリエンベルグ」を取材されたものだったから、行ってみたかったのだ。ただ、残念ながら夏期休暇中だった。(詳細は下のリンクの記事でご覧になれます ↓ )
ショップは混雑していそうなので、さきにカフェで一息いれよう。
壁面にも平面の自然がいっぱい、動物もいっぱい! しかもシックな大人かわいさだ。
臥薪嘗胆の日々を越え、やっとたどりついた「リリエンベルグ」は、かつてよりバージョンアップされている模様。なんといっても20年前だし。あの頃幼稚園児だったのが、いまや社会人1年生なんだから。カフェ部分は別棟に独立していた。
では、入店しまーす。わくわく!
新百合ケ丘のホテルに到着。
アスファルトの車道ではあるけど、夕方に山の中を下るのは不安なものだ。それも閉園ギリギリに、コインロッカーで荷物を撮りに行くため再入場をお願いするのだから、正直ドキドキだった。
間違った道に行ってないかも心配だけど、さすがに時間が時間なので人気もないので、道を訊くチャンスもない。正門までは案外というか、まっとうに遠くて、不安のカタマリになりながらも、なんとか閉園ややオーバーくらいには、めでたくコインロッカーで荷物を取り戻すことができた。残念なのは売店が閉まっていたこと。やや心残りである。4月始まりのカレンダーがちょっと欲しかった、ような気がする。
しかし、バス停留所にたどり着いた時間が中途半端なので、ええい!と駅まで歩くことにする。重いリュックがあったが、東北行きのときよりは少ない。大丈夫、歩ける!道も直線で迷わなさそうだし。
距離的には普段の徒歩ランクでいえばたいしたことはなかったが、すでに十分すぎるほど歩いた後なので、さすがに駅に着いたら疲労困憊。向ヶ丘遊園駅から、ホテルのある新百合丘駅まで、急行で5分、各駅停車で8分。
新百合ケ丘に到着。前にここに来たのは、20年近く前の家族旅行だ。そこから駅近なハズなのに、土地勘のない悲しさ、さんざん迷ってたどり着いたときには、お風呂もおっくうなくらい疲労困憊。携帯の万歩計を見れば2万歩オーバー! さすがに歩きすぎた。
でも素泊まりだから、晩ご飯を確保せねば! 幸い駅近で、そこそこの街なので、駅前には飲食店もイオンもある。イオンに入っていたちょっと高めの中華料理店で、野菜あんかけ焼きそばを、美味しくて感動しつついただく。とても空腹だったので、デザートにプリンも付けて。実はメニューの写真が美味しそうな小龍包も注文しようかと思ったんだけど、自粛。食べてみれば、焼きそばだけでおなかいっぱいになったので、パスして正解だった。プリンもやっとだったし。どうやら疲れすぎて、胃腸も許容範囲が限られていたらしい。ハラも身のうち、っていうもんね。
ホテルに戻ったら、会議室らしき部屋の前に、医療関係者らしき方々の講演会の案内板が出ていた。脂肪酸に関する講演だったと記憶している。どうでもいい情報だけど。
昨日のブログのタイトルの「ラストワン」にクエスチョンマークをつけたのだが、これはつい先日、ブログを書くにあたり民家園の建物をチェックして、スルーしてしまった物件が発覚してしまったからだ。
一つはナンバー21の「菅(すげ)の船頭小屋」
もうひとつは、ナンバー22の「工藤家住宅」だ。東北の村にある南部の曲家である。
コンプリートできず残念だったが、半日でこれだけの民家を見られたんだから、充分すぎるといっていいだろう。