読書のお手伝い
今日の午前中はカウンターに入ってのおしごと。絶妙にいい感じのバランスで適度に忙しい。リズム良く息継ぎしつつ、コンスタントに継続して利用者がやってくる。こんなバランスのいい日は、めったにない。おかげで快調に仕事をこなしていけた。
ごく普通の、60ばかりの女性のレファレンスを受ける。
アウグスティヌスの著書はないかというお問い合わせだった。上品ではあるが、普通の主婦然とした年配の女性が、古代の(ローマ帝国の時代)思想家の著書を、ごくささやかなきっかけからトライしようという知的馬力に大感動である。
いや、「普通の主婦然」とはいいながらも、なにもないところから、いきなりアウグスティヌスへの回路は繋がらない。それなりの読書の蓄積が、彼女の中にあったはずである。古典や思想書に、おっくうがらず、いつでも入って行ける回路をもっていらっしゃることが素晴らしいのだ。
とても感じのいい方で、控えめで穏やかながら、まっすぐな読書意欲をもっていらっしゃる。残念ながらこういう方とは対極をなす方も、まれに見えるので、より際立って「すごい!」と思ってしまうのだ。
こういう方の読書のお手伝いができることは、光栄以外のなにものでもない。司書冥利に尽きるというものである。
彼女が去ったあとに、自分の中にも古典や思想書に繋がる回路はあるだろうか、とそっとムネに手を置いてみた。
はるか遠い記憶のなかで、小学生の頃、世界文学全集や、科学読み物、戦争児童文学や伝記もの、昔話や民話のシリーズ、推理/探偵もの、日本の古典全集を学校図書館で乱読の限りを尽くしていたことが蘇る。
子ども用にリライトされたものであれ、本の中身については、ほぼ全く覚えていないとはいえ、あの時代は私にとってのたいへんな宝物だったのだと、いまさらながら思い知った本日であった。