サボテンの花
私が中学生の冬にチューリップの『サボテンの花』という曲がヒットした。学校から湖西あたりへスキー教室に行ったバスの中で、誰かが回って来たマイクで歌っていたのを覚えているから、確かにその頃である。
そして当然のことながら、私もこの曲の切なさにムネがきゅんとした少女だった。とても若かったのである。ムードと切なさだけに酔っていたのである。でもまあローティーンだし、それはそれで妥当な線といえる。
先日、お昼にラジオからこの曲が流れて来た。もはや70年代のニューミュージックの定番曲なので、今頃の季節になると毎年何回かは聴く曲なのに、ふと今日は疑問におもった。ご存知のように、出だしはこんなだ。
♪ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて
君は部屋をとびだした 真冬の空の下に
しかし「ほんの小さな出来事」で、家を飛び出すか? しかもそのまま二度と戻ってこないんだから! 「とびだした」ってことは、コートも着ず、防寒具もなしで「真冬の空の下」で、おまけに荷物は何ひとつ持ち出さなかった様子だし! よほどのことでキレたんでなければ、こんな無謀なことはできない。感傷的になっている場合じゃないぞ。「傷つい」たのは「愛」ではなく、「君」(彼女)なんだって!
よほどのことじゃなければ家出なんてできないって、気づくべきだ。これ、絶対オトコにとっては些細(だと彼が思っているにすぎない)でも、彼女にとっては、重大な出来事だったんだよ! 分かれよ〜!
♪編みかけていた手袋と 洗いかけの洗濯物
シャボンの泡が揺れていた
君の香りが揺れていた
これ、ほとんど犯罪の匂いがするくらい、日常生活が断ち切れているんじゃない? 突然の失踪。いきなりの拉致か?と思うほど。
そして「愛が傷つく」という、曖昧で美しい表現と同様にここでも「君の香りが揺れてた」とくる。こんな不幸のど真ん中で、ドメスティックにリリカルしている場合じゃない
♪たえまなく降りそそぐ この雪のように
君を愛せば良かった
窓に降りそそぐ この雪のように
二人の愛は流れた
「君を愛せばよかった」? ほらほら、怪しいじゃないか? 「ほんの小さな出来事」なんかじゃないって、彼は分かっているんだって!
♪思い出詰まったこの部屋を 僕も出て行こう
ドアに鍵をおろした時 なぜか涙がこぼれた
君が育てたサボテンは 小さな花をつくった
春はもうすぐそこまで 恋は今終わった
この長い冬が終わるまでに
何かを見つけて生きよう
何かを信じて生きてゆこう
この冬が終わるまで(リフレイン)
ララー ラララーラララララー ・・・・
なんだか、歌詞を見ればみるほど、ドメスティックバイオレンスの匂いがしてしょうがない。絶対に自分の非を認めまいとする彼。甘く美しい思い出だけしか認めようとしない彼。ちょっとアブナいオトコだったのかも。
それでも彼は、とりあえず彼女のことは諦めたようで、決着をみたのが救いかもしれない。ストーカーと化してホラー映画のように追い回す執念深いオトコだっているもんねえ。
半世紀も生きると、ほんと、身も蓋もない歌詞解釈をするようになるんです。若くロマンチックな方々、どうもすいません。