中学校の図書室
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中学生になって、図書室に古典的漫画全集があったのに驚き、放課後に読みふけっていた。
漫画全集とはいえど、まるで華麗な文学全集のように、ハードカバーの豪華な造本だったので、よくよく見ないと漫画の全集とは気づかないくらい。手塚治虫の巻で『メトロポリス』(昭和24年に発表された作品らしい)を読み、水木しげるの巻で『墓場の鬼太郎』を読んだ。白黒で見たテレビアニメとは全く違う、不気味な話に愕然とした。
鬼太郎の父は重病で身体が溶けて息絶え、身重のまま母も亡くなってしまうが、それでも自力で生まれて来た鬼太郎。子どもを残して死ぬに死にきれない父は、溶けて流れ出す眼球に自分の生命力を注ぎ込み、生きる目玉となり赤ん坊の鬼太郎を育てる。「目玉オヤジ」の誕生である。水木しげるがこれを描いたときには、目玉オヤジがこんなにも人々に愛されるキャラになるとは、思いもしなかったのでは?
ということを思い出したのは、せんだっての「ゲゲゲの女房」の漫画原稿に、赤ん坊の鬼太郎と鬼太郎の父母が描かれていたのを思い出したから。あのシーンを思い出すと、一緒に夕方の図書室を思い出して、ノスタルジーに浸ってしまうのでした。