牛テールの思い出
各方面から牛肉は買い控えるようアラームが響いているのに、なんとテールを買ってしまった。牛のシッポの衝動買い。けちけちと、一番小さいのだけど。
テールスープ、というものがこの世にあるということを、私は今はなき近江八幡のイシオカ書店の、故・奥村店長の日記で知った。ものすごく美味しそうなレシピとともに。
あまりにもその文章が美味しそうだったので、8年か9年前だったかの夏、ちょっと高級なお肉屋さんでテールスープ(すでにスープの状態になっていた)を買った。うーん、でもそれが「おいしかった」という記憶はないなあ。やっぱり自分で作ってみないとダメなのかも。
実を言うともうそのレシピは忘れてしまった。だから結局作るのはカレーかな。
食の安全よりも思い出を優先してしまった。イシオカ書店と店長(日記)の思い出は、それほどまでに私にとって鮮烈だ。牛テールを見た時もそうだったが、養老山麓サイダーをみつけても、ナンシー関の消しゴム版画集を手にとっても、はなくまゆうさくの絵本『ムンバ星人いただきます』の背表紙をみても、くらくらするくらいの思い出に圧倒される。
夏が来ると思い出す。吸い込まれるようなきれいな青空と、汗だくの喪服と、はじめての教会でのお葬式と、百合の花と。
やっぱり私には本つながりの人は、かけがえがないのだ、ということを思い知る。どんなに仕事が忙しくて幽霊会員になっても、読書会を辞められないように。
もっともイシオカ書店は特別すぎた。まさに空前絶後の本屋さん。マニアックに極めてるようで、ちゃんと客の方も見て、意識的に「たずな」を緩めている部分もあった。タイトさとゆるさがバランスよく共存していた。毎日行っても背表紙を眺めるだけで、楽しい本屋さんだった。
奥村店長が逝ってしまってから、もう何年にもなるけれど、「ああ、こんな本がでたんなら、読みたかっただろうなあ」と思うこともしばしばだ。
そんなことを今日書いてしまったのは、「いなくなった人の分も、いま生きている人が生きてあげなければ。」という落合恵子さんの文章を読んだからだろう。
マイペースでもゆるゆるでも、「いなくなったひとたち」をしょいながら、どっこいしょっと生きていこう。