鵜川四十八体石仏群
今日で今津話は最終回。あとしばしのお付き合いを。
鵜川四十八体石仏群(うかわしじゅうはったい せきぶつぐん)は、京都の洛南深草にある石峰寺の五百羅漢とともに、私が長年みたいみたいと願ってきたものたちだ。石峰寺の五百羅漢は伊藤若冲が下絵を描き、それを石工が彫った石仏群。いうなれば釈迦の生涯を立体的に描いたものである。こちらはまだ拝見が叶っていない。
一方鵜川の石仏、阿弥陀如来坐像群は、室町時代後期に安土観音寺城城主の佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔う為、琵琶湖の対岸にあたる高島市鵜川に建立したもの。わざわざ湖を隔てた対岸に、対面するようにつくるとは。スケールがでかいというか、洒落者というか。
これを、今回やっと拝むことができた。
それにしても案内板からして 古色蒼然というかおどろおどろしいというか。平成四年のものだから、せいぜい20年なんだけど。
しかも上部の張り紙上部には「史跡地内危険につき注意」とあり、下部には「石仏に」の後の文字が消えている。「触れないでください」だろうか? まさか「お持ち帰りはご遠慮ください」?
しかしまさかこんな風に墓地をしょってらっしゃる場所だとは知るよしもなく(汗) ある意味、ものすごいパワースポットかも。今回迷い込んで墓地にくることはなかったけど、ラストに「とんで墓地に入る秋の夫婦もの」だった。ひさびさのぞくぞくだった。この場所は、ひとりじゃ絶対ムリ!!
この不思議空間では、この阿弥陀さまがほっとできる方だった↓
現在、鵜川に33躰が、大津市坂本の慈眼堂に13躰が、それぞれ安置されており、残り2躰は行方知れずになっているそうだ。
「行方知れず」って!
石仏は単にお祀りする場所を移動させるだけでも、専用にお経をあげてもらったりなんだりの準備をしないといけないのに、行方知れずって。コワいもの知らずというか、命知らずにもほどがあるな。
もうすこし山の中に入ってみる。視界が開けた場所からは、荒れた棚田と道路、その向こうには琵琶湖が広がっている↓
もと来た道を下れば、ひんやりと森林浴。おもわず樹々や空を仰ぐ↓
森林浴は樹木の香りがリラックス効果を発揮し、免疫機能が向上するそうだ。たしかに山で過ごすと精神的にたいへんくつろげる。フィトンチッドにバンザイ三唱だ。
鵜川四十八体石仏群にほど近い場所には、近江最古の神社『白髭神社』がある。今回は立ち寄れなかったが、車中より『近江の厳島』とも呼ばれる湖中大鳥居を見る↓