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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー

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 昨日はお天気もよかったし、晩ご飯も手抜きができる予定。しかも10時から4時まではフリータイム。こんなチャンスはなかなかないので、9時半までに午前中の家事を仕上げ、京都市美術館へ。秋の展覧会では見逃せない『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』へ大急ぎだ。印象派の目玉商品目白押しの展覧会なのである。

 平日とはいえ、それこそ珠玉の絵画たちなので、さぞかし混雑していることと思いきや。

 待ち時間はなし、館内で行列につくこともなくスキマだらけだ。おかげで近くからも遠くからも見られ、遠くの別アングルから見ると、3Dみたいに見えたりする絵も発見した。(『日傘の女性、モネ夫人と息子』とかね)

 だれでも知っているようなゴッホの自画像や、モネの睡蓮のある太鼓橋や日傘の女性、ルノアールの踊り子やセザンヌ静物画というお馴染みのものは、自然にため息が出るほど。これぞ眼福という絵ばかりだった。

 一方ゴッホといえば普通「ひまわり」だけど、今回やってきた白い薔薇を描いた大作『薔薇』は、見る人見る人を魅了してやまず、この絵の前の熱気は高かった。マネの少女のお洋服描写が素晴らしい『鉄道』も、「ちょっとみただけやったら、『鉄道』? なんで?って思うやんな〜? 煙があるから、ああ、ってわかるけど」という会話もきこえたりして楽しい。

 ルノワールの『踊り子』は、ふんわりチュール(シフォン?)ドレスや、シューズやリボン生地のサテンが放つ光沢ある質感がステキ過ぎる!

 ところで私が今回ぞっこんだったのは、メアリ・カサットさん。きれい、とか、うまい、とかとは違う部分で大胆な吸引力を持っている。いや確かに、キレイな絵でウマイ人なんだけど。なんだかもっと本質的ななにかに魅かれるというか。ウチに持って帰れたらいいなあ、とまで考えてしまうというか。どんなに見ても見飽きない。

 今回のカサット作品では、美術館いちおしの『青い肘掛け椅子の上の少女』は、少女の不機嫌そうな表情や、ソファーの形容しがたい美しさのブルーが、さんざんその素晴らしさは言い尽くされているけど、もう一回言う。これはすごいぞ。

 『浜辺で遊ぶ子どもたち』も、幼子がなんとも愛らしいし、光の色合いも懐かしい感じがした。自分が子どもの頃に、波打ち際で遊んだことさえ思い出した。

 『麦わら帽子の子ども』は質素なお洋服に麦わら帽子をかぶり、ちょっと拗ねた表情の少女がサイコー。着飾らず「なんで楽しくもないのに笑わんとあかんの!?」という反抗的な表情ね。何度見ても感心する。とはいえ作者の眼差しはやさしいの。あなたはあなたのままですばらしい的な。というか、あなたのなかに私(カサット本人)を見た、というか。年齢を越えた共感というか。絶対カサット本人も、跳ねっ返りな娘だったんだよ〜。

 彼女はまだフランスですら美術界に受け入れられていなかった印象派アメリカに紹介した「印象派広報部長」でもある。カサットは裕福で目利きなお嬢様だったので、そんな彼女の人となりを知る知り合いに次々お勧めし、オススメされた金持ちの彼らは、当然信用できるカサットの言葉を信じ投資目的を含め、印象派の絵を購入することになる。

 そんな風に彼女はアメリカで印象派をずいぶん広めたらしい。アメリカのプチ白洲正子だな。

 他にも、ドガの『アイロンをかける女』(だったかな?)も、渋い色調の調和に心をしっかり心をつかまれてしまい、しばらく絵の前でうろうろしてしまいましたよ。

 点数はさほどでもなかったので、疲れることも無く、逆にゆっくりと一点一点をみることができた。心が豊かになるような気さえした。10時過ぎに家を出て、ダッシュで帰宅して家に着いたのはゆっくり3時前。

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー』は11月27日までの会期なので、まだまだ大丈夫。関西の方は、ぜひ足をお運びください。