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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

鷲田先生

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 Kちゃんの学校で、なんと哲学者・鷲田清一先生の講演会があるというので、わくわくしながら出かけた。ほぼ読んだことはないのに(挫折したから)、なぜかとても気になる人なのだ。しかもあまり読書をしないKちゃんをして、授業で読んで「ものすごくおもしろいコトを書かはる」と哲学的思考に興味を抱かせた人なのだ。

 演題は「待つことの意味」。いきなり「もう10年以上前から、日本人は待つことができなくなりました。日本から「待つ」ことが消えたのです」というセンセーションなフリでわしづかみに。

 でも一方で日本には昔から「待つ」ということばにはいろんなバリエーションがあって、豊かな「待つ」(文化?)があった、ということもおっしゃっていたっけ。

 内容については、また後日ゆっくりと、ということにして、実は講演内容以上に興味深かったのは、鷲田先生のキャラだ! 

 私はせっかくのチャンスなので真ん中の、それでも遠慮して前から3列目くらいの席で聞いていた。鷲田先生は、とても緊張された様子で、明らかにあがっておられ、訥々と語られていた。緊張のあまり、ときに頭の中が真空地帯になってしまい、言葉が続かなかったり、思いつかなかったり、忘れちゃったり。でもそこが好感度大! 滑らかによどみなく語りかけ、立て板に水的なお話をされる方って、ちょっとうさんくさいじゃないですか。なんかこう、信用できないというかね。

 そんなふうで、気さくに壇上から語りかけたり、自分の言ったことに自分で笑ってしまい「あ、こんな場所(壇上!!)で馬鹿笑いしちゃったよ!」と内心をおもいっきり顔にだしてしまい「しまった顔」をして口元に手をあて、「えと、何の話をしてましたっけ?」とボケてみたり、たいへんチャーミング。

 鷲田先生って、「難しい話をする哲学者でエラい人」的なイメージがあっただけに、そのギャップがかなり微笑ましかった。あまりに微笑ましかったので、つい笑ってしまって失礼しました。

 でもラストは「現在は市民(普通のひと)が専門家に任せすぎてはいけない」とシビアな表情で語られたのは、すごくカッコ良かった。「政治家に頼り切り、原発のことは専門家に頼っていたのでは、なんの解決にもならない。彼らは自分の専門しか知らず、断片的な知識しかもっていないのだから。自分で問題だと思うことは、自主的にコミットしていき、自律的に生きる。これがいまは大事です」

 講演終了後、自分が使われた黒板をきれいに丁寧に拭いておられた姿がまた、なんとも素晴らしかった。ちいさいことだけど、あんまり目にすることのない風景なので、とても感動した。実は鷲田先生の著書は挫折体験があるのだけど、本を改めてまた読んでみよう、と強く思った次第である。鷲田先生、大好きになってしまった。