『冬の色』
お昼にラジオから流れる懐かしい山口百恵の歌を聴いた。シックで落ち着いた百恵ボイスが、千家和也の歌詞と都倉俊一の作曲を歌った結果、オリコンシングルチャート1位を獲得した、栄えある歌だ。『冬の色』である。
(歌詞を知りたい方は青色文字の下線部分↑をクリック。リンクを貼っています)
「くちづけもかわさない清らか」なのに「あなたが死んだら私も!」という情熱的な恋、というアンビバレンツな設定と、おしとやかでシックな曲調は、当時ティーンの人たち(私も含む)の心を鷲掴みにしたのではないだろうか。
ところが久しぶりに聞いてみると、「あなた」はとんでもない男なんじゃないか?という危惧が、むくむくと湧いてくるのである。
「あなたから許された 口紅の色は
からたちの花よりも 薄い匂いです」
いきなりである。「あなたから許された口紅」!?
いや、たしかに化粧についてうんぬんいう男がいるのは知っている。「その色、ナニ?」とか「赤いの濃過ぎる」とか。貴方好みの女になりたくて「これ、どうでしょうか?」としおらしく訊ねるようなひとには、どんどんツッコんであげてくれていいんだけど、「私が気に入ってるんやから、四の五のいわんといて」というひとには禁句だ。オトコのために化粧する女か、自分のために化粧する女か、ということだろう。
どちらにもあてはまらない私には、実のところ、何が言えるのかも疑問だけど。そもそも化粧自体、めんどくさい。論外だ。
でも最初のフレーズで、これほど警告音が鳴り響く歌もちょっとない。口紅について云々いうだけでなく、「許された」という部分は剣呑だ。キケンだ。この男、キケン過ぎる。ドメスティックなバイオレンスの匂いがたちこめている。たとえ暴力を振るわれていないにしても、いつ何があってもおかしくないような、「私」が思いっきり「所有物化」されている気配が濃厚だ。
しかも彼女は「疑い」なんて入る込む余地なし!と断言している。人はこうやってトラップにハマっていくのか・・・とはらはらしながら見ているしか無い。
もしかしたら微笑んで紹介できるのは、今だけなんやで・・・と勘の鋭い友達なら、不幸の匂いを予感するのではないだろうか。
いや、残念ながら、この手のオトコはカンペキに用意周到なので、きっと見破られないだろう。「めっちゃええひとやん〜!」と友達の絶賛と祝福を受けて、幸福の絶頂を味わうのがオチだ。
さて、2番のフレーズにいこう。
「あなたからいただいたお手紙の中に さりげない愛情が感じられました」
小憎らしいほど絶妙な言葉やタイミングやしぐさで、女心を引き寄せるテクニックを持つオトコ。だから女は立ち止まってしまう。この人は、私のことを「ホントは」こんなに想っているんだと。
全開ではなく、たまにふとした心の隙を突くように、小出しに愛情を示す。きまぐれに。打ち続く「私のこと、嫌いなの?嫌いなの?なぜ突き放されるの?」の絶望の果てに、「さりげない愛情」でつなぎ止める。なんて高度なテクニックだ。こんなことをされたら、もう女は逃げられないだろう、と想像するに難くない。
逃げられないことが確認できた後、皮肉にも彼女の不幸の予感がオンパレードになる。
「倖せのほしくない ぜいたくな恋」
「突然あなたが死んだりしたら」
「あなたなら他の子(こ)と遊んでるとこを見つけても」
気持ちの片隅では彼女はわかっているのだ。この恋で自分は不幸になるだろう、ということが。でも、もう彼とは離れられない。
「くちづけをかわさな」くても、もはやオトコのなすがままだ。たぶん彼のために自分が破滅することにすら喜びを感じられる、というくらいに心を浸食されている。
彼女はしかも「この恋は、普通の恋ではない」ということを、自覚している。
「人からは不自然に見えるのでしょうか」
「世の中に珍しいことなのでしょうか」
という歌詞が、自分が「特別な恋」をしている、世間的に理解しがたい恋をしているという、なにか優越感あふれる自覚を感じさせるのだ。そんな錯覚を彼女にさせる男の細工は、見事なほど周到だ。おまけに、この彼女の言葉のありえない丁寧さは、不安感を増幅させるのにうってつけだ。
この甘美で、恋のよろこびの中にいる「私」を歌ったしっとりとした歌詞が、まさか後年、ドメスティックなバイオレンスの表皮に見えるようになるとは。それは見方を変えれば、逆にすごい歌詞だとホンキで思う。
これをDV啓発のテキストに採用すれば、若い世代に実感としてわかってもらえるのではないだろうか? 関係者のご検討をお願いしたい。