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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

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驚きの瀧尾神社

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 瀧尾神社をプログラムに入れたのは、小嶋先生のツアーの集合場所だったから。駅前はすぐ道路で、団体さんが待つようなスペースがないし、こんなマイナーな神社でとりあえず集合しようということなのかな?思ったのだが。  なんとなく、気になったのだ。あの小嶋先生が神社仏閣を集合場所にするのなら、なにかしら引っかかる物があるのかもしれない。だから念のため検索してみた。すると見どころ満載な場所だということが判明したのだ!  以下緑色の文字は「京都 東山区南部地域活性委員会が発信する観光情報案内サイト」より。  創建年代は不詳だが、「源平盛衰記」にその名が見えるという。天正14(1586)年10月に、豊臣秀吉方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座した。現在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、下村家(現在の大丸百貨店)の手により、江戸後期の天保10(1839)年〜11年にかけて造立された。  江戸中期に行商から大呉服商になり、今の大丸百貨店の礎を築いた天下の豪商・下村彦右衛門。瀧尾神社は、彼が熱心に参ったことで知られる。  また下村彦右衛門は「福助」のモデルとしても有名。中国から輸入した綿糸を販売し、巨万の富を築いた彦右衛門は、お礼として、瀧尾神社境内にて食事を振る舞った。次第に人々は彦右衛門を「福の神のような人」と呼び始め、「福助」の愛称が定着した。そこで、伏見稲荷の人形師が、彦右衛門をモデルにした伏見人形を作ったところ、大人気となり「福助」の名前が全国に広がった。  なるほど総額2500両(現在の通貨にして5億円!)という太っ腹な造立は、さすが名にしおう「大丸」だ!    JR東福寺の駅で下車し、東福寺とは反対方向へ歩くことしばし。右手に小さな神社があるので、拝殿正面の鳥居から入る。ピンクの建物はなんと社務所    たまたま、拝殿の上を飛行船が飛んでいた。まさに「見る前に、飛べ」。こんなことでも、テンションがあがる、単純な私たち(笑)  この提灯がずらりとぶら下がった拝殿の見どころは、天井にある。生きているかのごとく見事な木彫りの雲龍が、天井いっぱいに、のたうっているのだ。  最初見た時は、おもわず「わああ〜!」と声が出るほどのど迫力。全長8mという大きさもだけど、彫りの精緻さと、今にも動き出しそうな躍動感に圧倒されるのだ。拝殿はスリッパが用意してあり、上がることも出来るので、間近でも拝見できる。  となりで説明されていた方(雰囲気としては商社の接待か?)によれば、ウロコの一枚一枚の木目の流れまで計算されているとか。  雲の上には龍の宝珠として黄金の玉もある。  龍の出来があまりに良かったため、夜な夜な抜け出し、近くの今熊野川まで水を飲みに行くとの話が広がったらしい。神社側では拝殿の天井に網を取り付けて、龍が自由に動けないようにしたという。(現在、網はない。ざっくりとした支えのような針金のみ)  次の拝殿もこれでもかというくらいな、彫刻三昧で装飾されている。  高名な京の彫刻家・代々当主が新之丞を名乗る九山新之丞氏の子息(九山新太郎)作の彫刻が社内には多数見られる。回廊には十二支の姿、水鳥や阿吽の龍、獏、鶴、鳳凰、尾長鳥、霊獣である犀や麒麟の姿も見える。正面から見える面だけでなく、裏側まで丁寧に彫りこまれており、正面とはデザインも異なる。  真正面には鳳凰  鶴や鳳凰や松↑  波をかぶる動物たちは、火伏の意味も?↑  以下は十二支より。  龍は水を司るので、当然火から建物を守る。眼光鋭い小動物は、意外にもウサギ。  不老長寿の言い伝えがあり、魔除けともなる桃をもごうとする猿↑  木目が活かされたイノシシ↑  乳首までキチンと彫り込まれた犬。子犬もいる。これは安産の象徴か。  見どころ満載なので、書ききれない。続きは明日また。