ハートな気分。
先日テレビで見た指揮者・広上淳一先生のプロフィールをもう少し知りたくなり、調べてみた。
輝かしい才能と人間的な魅力に溢れる先生の人生は、意外なことに挫折続きだったらしい。
凹んで、折れて、袋小路に行き当たって。その都度、音楽への愛を杖にして必死で立ち上がられた。
2008年のAsahi.com(朝日新聞)の記事では、こんな見出しが。
〜指揮者・広上淳一、米コロンバス響辞任「音楽への愛はお金には代えられぬ」〜
記事を読んで泣きそうになる。
この記事によると、彼は、米コロンバス交響楽団の音楽監督の職を任期半ばで辞任したのだ。理由は、労使交渉に入った楽団員の側について、人員および給与削減を言い渡した理事会と対立、最終的にその責任をとったためである。きちんと和解を見届けてから辞表を提出したのだ。
そのときの彼の言葉。
「精いっぱいカッコつけたけど、本当は打ちのめされている」。そう無念の思いを語るも、「音楽を愛する心は決してお金に代えられるものではない」と希望を口調ににじませた。
(略)「本音を言うと、楽団員が権利ばかり主張する時代じゃないとも感じていた。でも、一緒に美しい音楽を奏でていこうと約束した彼らに、背を向けることはできなかった」
ものすごく不器用なのだ。誠実で、ロマンチストで、美しき敗者。まるでどこか新選組みたい。
オハイオ州の州都コロンバスで初めて客演したのは05年。楽団員たちの圧倒的な支持を得て翌年、第7代音楽監督に就任した。その証しとも言えるCDが今月、リリースされた。落ちついたテンポで、しかし熱狂的なクライマックスを紡ぐチャイコフスキーの交響曲第5番。ライブ録音の前日に父の訃報(ふほう)が届いたが、帰国せず舞台に立った。結果としてこの1枚は、決別と門出の象徴となった。
それ以前にも挫折はあった。
キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールで優勝した80年代、同世代の大野和士らとともに国際舞台へと飛躍したが、01年に各国の楽団での要職を返上、1年近くの休養に入る。
「挫折のたび、僕の仕事はみんながいないと成立しないんだ、とかみしめた。そうして目の前にいる音楽家、ひとりひとりを大切にするところから再出発してきた」
現在は京都市交響楽団の常任指揮者、および母校である東京音楽大学教授の任にある。「失敗してボロボロになって、それでも腐らず音楽をやってる姿を、胸を張って学生たちに見せたい」
カッコ良すぎです、広上先生! ズギューンときてしまいます。
そういえば小沢征爾さんも若い頃、成績は優秀だったのに桐朋学園大学を(吉田秀和先生の話ではどうも)斎藤秀雄先生の横槍(!!)で卒業できず留年の憂き目にあったし、その後病気で長期療養しなければならず、腐りまくってサイテーな日々を送られていたっけ。
要するに、自分では防ぎようもない運命の悪戯で転んでしまうこともあるから、転んだ後にどう自分をフォローできるか、どう新規巻き直しを図れるか、というのが人生の肝なのだろう。
思い返せば、どういう風に成功するかより、どういう風に人生の危機を乗り越えられるかが、子育ての主眼だったような気がする。というか、「成功」とか、考えたことなかったな(のんき〜笑)
あかん、広上先生、めっちゃタイプかもー(笑)