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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

おどろきの国宝

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 やっとメインの目的地、三門の下までやってきた。日本一大きい三門で、もちろん国宝だ。

 三門については、知恩院のHPより抜粋して引用してみる↓

 元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公の命により建立された。入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上にもなる。

 「三門」とは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味している。

 上層部(楼上)内部は、仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像(いずれも重要文化財)が安置されているほか、天井や柱、壁などには迦陵頻伽や天女、飛龍が極彩色で描かれていて、荘厳な雰囲気を備えている。

 また、七不思議の一つである白木の棺があり、三門を建立した棟梁、五味金右衛門(ごみきんえもん)夫妻の木像が安置されている。

 あの場所だ↑

 入口付近の受付で800円の特別拝観料をお支払いする。ちなみに、いままで見てきた知恩院は、すべて無料。やはり庶民の味方だ。太っ腹、浄土宗総本山。

 下から、しかも裏側から見た所で恐縮だが、この階段を上がる。入口からは一切撮影禁止なのだ。

 東福寺同様に急勾配だが、あれよりは少し登りやすかった。距離が短かったのかもしれない。あるいは、登り慣れた(!!)のか。

 撮影も全面的に禁止だが、階段の手すりも基本的に触れてはいけない。太いロープが渡してあり、それにつかまって登ることになっている。ロープの方が捕まりやすいが、カラダを支えるテコにするには手すりの方が適しているので、こっそり臨機応変に対処した。国宝で古いものだからという理由で、手すり、および楼上の回廊手すり(柵?)も触れると注意される。

 混み合っているときに立ち止まってさらに人の流れが滞ったり、視界が遮られてキケンという理由により、楼上から眺める絶景ビューも撮影禁止だ。

 そのときは、さほど混み合ってはいなかったので、立ち止まっても支障はなかった。楼上から輝く緑の中の知恩院を見やる。生き返ったような緑が、感動的に美しい。きらきらと生を謳歌しているよう。わああ〜、きれい〜!

 で、楼上内部の仏堂に入ると、期待以上の極楽世界だった。

 古いとはいえ、室町時代にできた東福寺よりは新しい江戸時代のものである。そのせいか、経年に応じて高松塚古墳の壁画のような東福寺の壁画や天井画と比較しても、くっきりはっきりしっかり残っている。色も鮮明で、赤や緑に塗り分けられた壁面も美しい。

 2次元に関しては知恩院に軍配があがる。宝冠釈迦如来さまの頭上でうねる龍、天女や迦陵頻伽のたおやかさ、上品な艶(なまめ)かしさ。

 欄間には空想上の生き物「麒麟」が何匹か描かれており、そのうちのひとつが、キリンビールのラベルに棲息する「麒麟」のモデルだそうだ。キリンビール好きのH氏になりかわり、じっくりと見てあげる。この麒麟のツノには、もちろん「キリン」の隠し文字はない。

 仏像や羅漢像などの3次元に関しては、東福寺の方が迫力があり、魅力的に感じた。

 ところで、知恩院三門に実際行ったからこそ知った衝撃の事実が発覚した。なんと、国宝の壁面に、筆で書いた墨跡が! それはどこからどうみても、「らくがき」! 

 私はてっきり、かつて改修工事を請け負った大工さんの落書きかとおもったのだけど、どうやらそんな生易しい事態ではなかったようだ。帰宅してから、気になって調べてみた。だって大工さんなら、屋根裏とか人目につかないか、少なくとも目立たない場所に書くくらいのモラルはあるだろう。

 しかるに「らくがき」は、堂々と絵の上とか出入り口付近とか、ものすごく目立つ場所にあった。ほとんどは書いた人の住所氏名らしい。遠方からやってきた人が記念に書いたとか、仏様に自分を覚えてもらうために書いたとか?

 明治の一時期、三門は立ち入り自由だったことがあるという。あの忌まわしい廃仏毀釈の時代である。神道を持ち上げ仏教を迫害するため、仏像は打ち捨てられ、寺宝は二束三文で売りに出され、僧侶は寺から追い出され暴力をふるわれ、むりやり神官にさせられ、寺は貧困にあえぐという日本文化破壊の暗黒時代。そんな時代の負の遺産も含めての、国宝なのだ。ほとんどが字の落書きだけど、なかには猥雑な絵だってある。それも込みで、国宝。うう〜ん、すごいものをみてしまったぞ。

 出口から仏堂を出て、ふたたび激しく傾斜する階段を降りる。もうすっかり三門慣れしたので、へっちゃらだ。

 門の下はこんな風。広いな、大きいな。

 門から出て、道を渡ってから三門を撮る。道を挟んで撮らないと、入りきらない。それくらいでかい。

 「華頂山」の額。畳2畳以上もあるそう。さっきあの下を歩いたよね。

 知恩院では鶯張りの廊下を歩いたけれど、嵐の後、晴れ上がった女坂で、ホンモノの鶯の声を聞くこともできた。怒りの雷雨と生きる喜びに溢れた晴天というふたつの景色のなかで知恩院を見られたのは、意義深いことだった。

 その後、古川商店街を数歩はずれた場所にある「喫茶feカフェっさ」で遅いランチ。初めて来たけど、リーズナブルで寛げて、ほどよくこだわりがあって、パスタもコーヒーも美味しくて、大当たり。3時過ぎには地下鉄東山ホームにて解散・帰路に。

 さあ、次はいつ、どこにいきましょうか?(場所は、おおよそ決まっているけどね)