日本仏教の源にて
やっと憧れの根本中堂に到着。
延暦寺の総本堂であり、本尊は伝教大師最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来(秘仏)と伝えられている。
延暦寺を開いた最澄が延暦7年(788)に創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)が元で、その後やはり何回も災害に遭ったが、復興の度により規模が大きくなっていった。
現在の建物は徳川家光公の命で寛永19年(1642)に竣工したものだ。ご本尊の前には、千二百年間灯り続けている「不滅の法灯」(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)も安置されている。 建物は国宝、廻廊は国重要文化財に指定されている。
南側に中庭が配置される寝殿造となっており、その中庭に日本中の神々を勧請する竹台がある。
堂内は外陣・中陣・内陣に分かれ、本尊を安置している内陣は中陣や外陣より3mも低い石敷きの土間となっており、内陣は僧侶が読経・修法する場所であることから別名「修業の谷間」といわれる。
回廊には子どもたちが書いた毛筆作品がびっしりと貼られて、厳かな気分を醸し出していた。小さな子が書いたのも、いかにもお寺にふさわしく「とう」というひらがなが多かったが、中に一枚なぜか「かに」と書いたものがあり、H氏にウケていた。永平寺だったら、なんとなくわかるんだけど(笑)
回廊を廻って、根本中堂の中へ。他のお寺と違うのは、中の外陣・中陣(参拝者のいる場所)は高みにあり、欄干越しに暗い内陣(仏様のいらっしゃる場所)を見ることになる。
暗がりの中、内陣の灯りがぼんやりと浮かびあがり、その荘厳さに日本仏教の源という場であることを思い知らされる。←クリックすると内陣の様子が見られます。
中陣の天井は「百花の図」といわれ、二百に及ぶ草花が極彩色で描かれている。というか「元・極彩色」で、現在はいい感じで古びている。柱は76本あり、諸国の大名が寄進したことから「大名柱」と呼ばれているらしい。根本中堂では下だけではなく、上も見るようにね。
最後に、堂内でお坊さんが店番をしているお土産売り場の近くに、祈願された絵馬がかけられていたので、チェックする。これは最近のH氏のたのしみでもあるので、すでに彼はチェック済みだろう。どれどれ。
「家族がいつまでも元気で一緒に暮らせますように」。
気持ちはわかるが、昔の中国の皇帝みたいな、だいそれた不老不死の願いだ。「いつまでも」は、ご遠慮いただきたいところだろう。
「パーマが失敗しませんように」。チリチリパーマの絵が大胆に描かれていて、ちょっと笑えた。これは、自分の頭にかけるパーマなのだろうか(笑)、それとも美容師さんの卵で「かけてあげる人」なのだろうか(困)? 私が神仏なら、これくらいのささやかなお願いごとは、ぜひとも聞いてあげたい。