横川へ
そんな状態なのに、なぜ横川エリアに行ったのか?
昨年からの縁につながる行ってみたい場所があったので、H氏の「横川行きたい?」の問いかけに、煮え切らない返事をしてしまったのだ。
そしてH氏は、私が殊勝にも(笑)夫があまりお寺に興味がないのを慮って、行きたいのを我慢しているのではないかと勘ぐったのだ(確かにそれもあったが)。ということは、後々私が「あのときホントは横川行きたかった」とこぼすのではないかと恐れたのである。(確かにその可能性はある) そういうことで、横川のPにイン。
車から降りて、セット券を見せて横川エリアに入場。このときばかりはお得な気分になり、一瞬テンションがあがる。って、どんだけケチやねん! いかに私が欲深いか、わかろうというものだ。
ゲートを越えて、山の中の道をあるく。
やや涼しい高原とはいえ、直射日光が降り注ぐ石ころだらけの道を歩くのだ。しかも万全の体調ならともかくも、ゆっくりしか歩けない私は、夫の後を3歩どころか30歩以上遅れて歩いた。妻の鑑。というか、ほぼ、おいてけぼりだ。
横川は、第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開かれた。
参道沿いには、延暦寺出身の各宗派の宗祖伝が絵物語になって連なる。青紅葉もきれいだ。
どんどん歩くと視界が開け、朱塗りの新しい本堂が横手に見える。
遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂(現在の建物は昭和46年に再興された)。しかし本堂なのに、目的地はここではない。まさかのスルー。もう「ついで」に立ち寄るだけの気力すら、なかったのだ(悲)
目的地である、おみくじ・魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)は、あとしばらくがんばって歩いて、なんとかたどりついた。
慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡と伝えられる元三大師堂は、康保4年(967年)、村上天皇の勅命によって四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれている。
現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、この元三大師堂はおみくじ発祥の地となっている。 ここでは、角大師(つのだいし)のお姿を授与していて、魔除けの護符としている。
初めてこの護符を目にし、「これはなに?」と疑問におもったのが、去年の夏の金沢は御茶屋さんだった。
それが元三大師という比叡山の僧侶で、神通力を持った「伝説」が山ほどあるお方だと知ったのが、今年の春の真如堂参りのとき。
そして、出かけにネットで元三大師ゆかりの地が比叡山にあるのを知ったのだった。時が満ちて、元三大師さまに呼ばれたのかもしれない。しっかりとお祈りをしておく。でも何も買わずに退出する。ここにお参りできただけで、大満足だ。
帰途もカラダは辛かったけど、苔の間を流れる山の清水にみとれたり、久しぶりに見た「ヘビイチゴ」の赤さに感動したり、作務衣を来て作業中(池さらい)の修行僧の若い男子たちと挨拶を交わしたりしながら、それなりに楽しく駐車場まで戻ったのだった。