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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

妙感寺へ

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朝から一仕事してからお昼には帰宅する予定で、午前中に夫婦で出発した。実家にいた頃、三雲はJRバスの終点だったので、地名は知っていたが、長い間ほとんどマボロシの町だった。いや、いまも通り過ぎるだけの町だったりする。

 「紅葉や ひろた」は、たまたま昨年(だったと思う)H氏と遠出をして信号待ちをしているとき、店の前に鹿の頭蓋骨(!!)が並んでいたのを見て、あまりのインパクトに立ち寄ってしまったのが最初。その夜食べたのが、わが家の初・鹿肉食。

 お店の看板が見える場所で信号待ちをしているとき、ふとH氏がつぶやいた。

「あの『妙感寺』って気になると思わへん?」

 左折して橋を渡ったらすぐお店、というところまできながら、直進する方向に看板があったのだ。しかも『妙感寺』のほかにも気になるものが。

「お寺はどこでも気になるけど、『微妙大師の墓所』というのも気になるわ〜!」と私。この、『微妙大師』って名前がね!

 車内満場一致で目的地直前なのに道草だ。

 私たちは寡聞にして知らなかったが、なんとこの妙感寺、JR三雲駅のスタンプ絵柄になっているくらい三雲を代表する観光寺だったのだ。思いつきの道草が、思わぬヒットだ。でももちろん、このときにはそんなこと、知るよしもなかった二人であった。

 寺の入口では、いきなり「微妙大師墓所」の石碑がお出迎えだ。

 このお方、名前は「微妙」だが大師というだけあり、なかなかのお方みたいだ。(湖南市観光ガイドHP「妙感寺」より↓)

 雲照山妙感寺(臨済宗妙心寺派)は、南北朝時代大本山妙心寺第二世微妙大師(授翁宗弼)によって創建されました。大師は建武中興の元勲萬里小路中納言藤原藤房卿その人であり、後世、新田義貞楠木正成とともに建武の三忠臣と讃えられたお方です。

 小さいながらも整えられたお庭。菖蒲(系の花)がこの時期咲いてるっていうのも、不思議。もしかしてパワースポット?

 お庭の上にはカッコいい観音堂が。

 十一面千手観音さまがいらっしゃる! しかも十一面であれ、千手であれ座像の観音様って、初めてだ。

 お堂も石灯籠も、石段の感じもなんともいえずいい! あれ? でも、これって?

 ほらやっぱり、場違いなこのお方が。

 いや、たしかに信楽は近いが。

 このパターンは初めてだ。お寺で「いらっしゃいませ〜」なタヌキって・・・斬新!!