木之本地蔵
観光所オススメのお食事処の前までくるも、いまどきのキレイな入口に「若向きでは?」と懸念したのと、「ちょっと高い」という理由でパスしたH氏は、「ぐるっとまわって、駅前の(大衆)食堂にいってみよう」と提案した。
これが木之本彷徨の発端になるとは、そのときは知るよしもなく。
ところで、木之本といえばお地蔵様の門前町だ。地蔵様を知らずんば、木之本にあらず、というくらいである。そんなお地蔵様の前を素通りする訳にはいかねぇ。
木之本地蔵の由緒について調べてみると
大阪湾に流れ着いた本尊を祚連上人がこの地に祀ったと伝えられている。
また、ここには「身代わりカエル」の伝説があり、寺の池に棲むカエルが地蔵尊の願いにより、目を患った旅人に片目を与え、旅人は旅を続けることが出来たという昔話である。いまでもお寺に棲むカエルは片目をつむっているといわれているそうだ。
お出迎えしてくださる高さ6メートルのお地蔵様は、秘仏である本尊にならってつくられた。明治27年の建立で、材料となる銅は、全国の信者から供出された銅鏡であったといわれている。
ついでながら、太平洋戦争の折、軍より大銅像の厳しい供出命令があったそうだ。なんと無体な! 当然住職は却下した。有力な人たちの援助があり、なんとかことなきを得たようだが、それにしても。
お寺は木之本地蔵院(浄信寺)という。目の仏様として知られる時宗の寺。
お寺の歴史は古く、白鳳時代までさかのぼる。開山は1350年前だ。空海・木曽義仲・足利尊氏・足利義昭も参拝した記録があり、賤ケ岳の合戦では、秀吉がしばらく陣を置いたという。
めちゃくちゃ歴史も由緒もあるじゃありませんか!! なるほど、どおりで素晴らしく凝った建築物の数々だったはずだ。これについては、また次回。
お地蔵様の足元に並ぶ、奉納用陶器の片目の「身代わりカエル」たち↑