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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

一生に一度のお願い。

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 長寿寺について、もう一度、おさらいをしておく。滋賀県公式観光サイトよりの引用↓

 阿星山の北東麓にあり、常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれる天台宗の古刹。

 奈良時代後期、聖武(しょうむ)天皇の勅願によって良弁が創建したと伝えられている。平安時代初めに中興されたのち、一時衰え、鎌倉時代初期には源頼朝(よりとも)が、室町時代には足利(あしかが)将軍家が祈願所として諸堂を造改修したといわれている。

 参道を行くと、最初にみえるのは右手にある石造多宝塔。どことなく渡来文化の香りがする。

 

 前方には、姿のすぐれた国宝の本堂がある。

 なにしろ50年に一度という、一世一代の宗教行事だ。白木の標が立ち、段段にはレッドカーペットを敷いたスロープの橋がかかり、レッドが終わる場所には、グリーンが敷き詰められていた。

 御開帳の法要が12時まで行われた。丁度お坊樣方がレッドカーペットのスロープを踏みつつ、退出されるところ。50年に一度の重みは、アカデミー賞の比ではないかも。

 本堂の中には御詠歌をうたう、ここぞとばかりに留袖らしきものを着た、年配のご婦人方が本堂の半分を占拠されていた。9月には固く閉ざされていた厨子の扉がおもむろに開かれ、御開帳が開催されていたのだが。

 なんと厨子の中はとても暗く、首から上が暗闇のなかに! つまりご尊顔がまったく見えない! 

 なんというシャイなホトケ様であることか! 今回はともかく、お願い事をかなえてもらおうとはるばるやってきたので、ご尊顔を拝することはあきらめ、御開帳以外のホトケ様たちにも、ご協力をお願いする。こちらの釈迦如来様や阿弥陀如来様も、相当素晴らしいのだ。

 桧皮葺で曲線を描く屋根に圧倒される。てっぺんで睨みをきかす鬼瓦も、かっこいい。

 本堂前にある弁天堂は、小池の中島に立っている。

 シンプルながら美しい佇まいだ。

 後日、願い事がしっかりと叶えられたのを知る。やはり50年間蓄えられたあらたかな霊験の威力であろう。長い眠りから目覚めた地蔵菩薩さまに感謝。