行ってみたい、かもしれない。
かなり以前に、偶然ネットでみつけた朝日新聞デジタルの記事で、たいへん面白いものがあった。関西のオモロイ場所をみつけるワザは、さすが「勝手に関西世界遺産」を連載していただけのことはある。
で、見つけた物件とは「東洋民族博物館」だ。「あやめ池遊園地」の一角にある古い洋館。「あやめ池遊園地」が閉鎖された現在も、どうやら引き続き営業されているらしい。1928年にオープンされ、初代館長である故・九十九黄人(つくもおうじん)(本名・豊勝)さんが集めたコレクションのほんの一部が展示されているという。
とにかくレポートする記者の神田剛さんが、ノリノリの筆致で可笑しい。筆が走る走る(笑) とにかく初代館長が、チョー個性的で強烈なお方だったらしく、博物館の展示品以上に、その人柄にのけぞってしまう。見た目は水木しげる先生の「悪魔くん」に登場する有名キャラ、メフィストを陽気なおじいさんにした感じ。いや、ほんとにほんとに(笑) 上記のリンク先の記事に初代館長の写真があるので、ご覧あれ。
さてこの博物館の中にある、故・九十九黄人氏のコレクションとは!? 記事より引用↓
アジア各地の仏像や南洋の石の貨幣、中国の纏足(てんそく)の靴、離婚成就や性病治癒の願掛けをした絵馬、果てはペルーの男性ミイラの大事な部分まで。珍品奇品のオンパレードだ。
早大生だった20世紀初頭、人類学者フレデリック・スタールの通訳として各地を歩いた。日本のお札やアイヌ研究で有名な米国人学者との行脚が、民俗学への関心と生来の収集癖を加速。ポスターから箸袋まで、切手と刀剣以外は何でも集めた。研究者も驚く中国の版画もある。
博物館に、一見さんお断りの秘密の部屋がある。その名も「森羅万象窟(しんらばんしょうくつ)」。民俗学の中でも、とりわけ性崇拝に関心が高かった九十九さんがセレクトした、良い子はダメよの性関連グッズ……失敬、研究資料がどっさり。春画の浮世絵や、各地の女性に協力を得た体毛コレクションなどが棚を埋める。
うーん・・・「博物館」というよりは、「秘宝館」では(汗) しかし、神田さんは優しく九十九さんを弁護する。
そもそもお色気系グッズは、大正時代の好事家のれっきとした収集の一分野だった。何ともデモクラシーの時代を感じさせる話ではないか。
そうそう忘れていたけど大正時代って、マニアの黄金時代だった。大津市歴史博物館の「道楽絵はがき展」で、かの時代のマニアたちが跋扈するさまを、存分に見たではないか。ソフィストケートされたレベルの高いマニアの存在に、なんて文化度の高い時代なんだろうと驚嘆したっけ。
ちなみに、九十九さんも大正時代に結成された日本最大の趣味人グループ「我楽他宗(がらくたしゅう)」の一員だ。
でもそんなマニアたちも、軍国主義の時代に入れば世間を恐れ、収集品を処分し、マニアを返上する。近年東京都の条例に反対し、オタクや腐女子や漫画家さんたちが決起したように、軍靴の響きはマニアとは水と油なのだ。
それでも筋金入りの九十九さんは、収集品を持ち続けた。反骨精神? それは違う、と思う。単にとことん、お好きなだけ(笑) おかげで警察に引っ張られ、留置所にいくはめに。神田さんの文章を引用すると、
留置場で会った左翼の男性に「お前アカか。わしゃピンクや」と相手も脱力のユーモア精神で切り抜けた。
戦後の解放感で、一気にエロチック街道まっしぐら。粗悪印刷のエロ本「カストリ雑誌」を集めまくったそうだ。その後もみうらじゅん師を彷彿とさせるような活躍ぶり。
齢(よわい)100に近づいた90年代はテレビにしばしば登場し、「きんさんぎんさんより宮沢りえがタイプやわ」とお茶の間をのけぞらせた。その九十九さんも、98年に筆談で「good bye」と書き残し、103歳の大往生を遂げた。
きっとみうらさんも、ご長寿なのではなかろうか。そんな気がする。
ところで推定数万点の資料は、彼の四男の九十九弓彦さんが現在も整理中とか。死んでなお、九十九さんのエピソードは続く。
荒れ放題の館内を片づけ、ジャングル状態の裏庭で草を刈ったら、九十九さん手製の「大魔羅(おおまら)神社」なる祠(ほこら)が出てきてズッコケた。反面教師だったが、マイウエーを貫いた生き方は誇りでもある。父よあなたはスゴかった。
こういう強烈な業を持った人ってば、ほんとに興味が尽きない。でもせっかくのコレクションなのに、分類して整理するのは興味なかったのね。学芸員さんの食指、動きまくるだろうなあ。・・・あ、でも分類しても「秘宝館」に限りなく近くなるのを覚悟の上でしなくちゃね。
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メモ:東洋民俗博物館(要予約というか電話にて開館日確認0742・51・3618)は奈良市あやめ池にあります。近鉄菖蒲池(あやめいけ)駅北口から徒歩約7分。入館料500円。
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