文殊楼
先程の坂を上り、2階建てで緑の屋根を持ち、褪せた朱が赴き深い、根本中堂の正門、文殊楼にたどり着く。
ところで先程買ったお守りは「学業増進 進学成就」だったのだが、文殊楼裏手の売り場には、そのものズバリ「合格祈願」のお守りが! 不覚、早まった! ひらがなで書かなければならないほどに「しょっく」だ。ショックすぎて写真を撮るのも忘れてしまうくらいだ。文殊楼の裏には、受験生が掛けたと思われる絵馬が、所狭しとすずなりだったが、ショックついでに絵馬もパス。裏からではなく、Kちゃんは、やはりバカ正直に表より正攻法だろう。
文殊楼の歴史は古く、僧・円仁によって建立され、平安時代、貞観6年(864)に完成。その後何度も焼失したが、そのたびに再建された。さすがは日本仏教の母体、比叡山、そして延暦寺である。
現在の建物は江戸時代、寛文8年(1668)のもので、大津市の指定文化財になっている。
さて、いよいよ知恵を司る文殊菩薩さまがいらっしゃる「文殊楼」へのトライだが、ここにきて私の心は沈みがち。
子どもの頃は遊び場同然だった山のてっぺんで、大岩にすわって足をぶらぶらさせながら、松風に吹かれつつ下界の風景を眺めるのが好きだった。
いまなら、そんな遊びは絶対させてもらえないだろう。墜落や遭難や性犯罪の恐れもあるので、小学生ひとりでの山行き禁止令が発令されること必須だ。
なんのトラブルもなく子ども時代を過ごす事が出来たのは、幸運以外のなにものでもない。リスクは引き受けなければならなかったが、「自由」という意味では、子どもにとっていい時代だった。
それが、なんとしたこと、高い所が年々苦手になってきたのだ。そのため、昨年「文珠楼」にのぼるハシゴのような急傾斜の、ハシゴよりも段差が大きい階段を一目見ただけで、ギブアップしてしまった。昨年の東福寺三門以上の傾斜と段差なのだ。
だめ、絶対。
でも今回は、文殊菩薩さまにお参りするミッションがあるため、否が応でものぼらなくては。H氏が「下から押し上げてあげるから」と言ってくれたし。
それでも途中で一回ギブアップを宣言した。「もう、ムリ」。そこをなんとかH氏の励ましで、気を取り直して階上に到着出来た(喜)
来てよかった! すてきな仏様たちに感動する。まさにパワースポットとしての気配に溢れていたのだ。しかも貸し切り状態。
小規模ながら天蓋の飾りが下がる中、金色の文殊菩薩さまが獅子に乗っておられる。極彩色だがいい具合に色褪せた脇侍が、四天王のように文殊菩薩さまを守っている。デコラティブだけど、色褪せ古びた感じが、荘厳なパワーを醸し出している。
満足して再び急勾配の階段を、ゆっくりと降りる。今度はH氏が先に降りてくれ、下が見えないようナビしてくれた。
ひとりじゃ絶対無理だった登楼だけど、彼のおかげでなんとか果たせた。お年寄りになってからでは、とうてい無理だったろう。間に合ってよかった。ありがたや、ありがたや。