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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

文殊楼

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 先程の坂を上り、2階建てで緑の屋根を持ち、褪せた朱が赴き深い、根本中堂の正門、文殊楼にたどり着く。

 ところで先程買ったお守りは「学業増進 進学成就」だったのだが、文殊楼裏手の売り場には、そのものズバリ「合格祈願」のお守りが! 不覚、早まった! ひらがなで書かなければならないほどに「しょっく」だ。ショックすぎて写真を撮るのも忘れてしまうくらいだ。文殊楼の裏には、受験生が掛けたと思われる絵馬が、所狭しとすずなりだったが、ショックついでに絵馬もパス。裏からではなく、Kちゃんは、やはりバカ正直に表より正攻法だろう。

 文殊楼の歴史は古く、僧・円仁によって建立され、平安時代貞観6年(864)に完成。その後何度も焼失したが、そのたびに再建された。さすがは日本仏教の母体、比叡山、そして延暦寺である。

 現在の建物は江戸時代、寛文8年(1668)のもので、大津市の指定文化財になっている。

 さて、いよいよ知恵を司る文殊菩薩さまがいらっしゃる「文殊楼」へのトライだが、ここにきて私の心は沈みがち。

 子どもの頃は遊び場同然だった山のてっぺんで、大岩にすわって足をぶらぶらさせながら、松風に吹かれつつ下界の風景を眺めるのが好きだった。

 いまなら、そんな遊びは絶対させてもらえないだろう。墜落や遭難や性犯罪の恐れもあるので、小学生ひとりでの山行き禁止令が発令されること必須だ。

 なんのトラブルもなく子ども時代を過ごす事が出来たのは、幸運以外のなにものでもない。リスクは引き受けなければならなかったが、「自由」という意味では、子どもにとっていい時代だった。

 それが、なんとしたこと、高い所が年々苦手になってきたのだ。そのため、昨年「文珠楼」にのぼるハシゴのような急傾斜の、ハシゴよりも段差が大きい階段を一目見ただけで、ギブアップしてしまった。昨年の東福寺三門以上の傾斜と段差なのだ。

 だめ、絶対。

 でも今回は、文殊菩薩さまにお参りするミッションがあるため、否が応でものぼらなくては。H氏が「下から押し上げてあげるから」と言ってくれたし。

 それでも途中で一回ギブアップを宣言した。「もう、ムリ」。そこをなんとかH氏の励ましで、気を取り直して階上に到着出来た(喜)

 来てよかった! すてきな仏様たちに感動する。まさにパワースポットとしての気配に溢れていたのだ。しかも貸し切り状態。

 小規模ながら天蓋の飾りが下がる中、金色の文殊菩薩さまが獅子に乗っておられる。極彩色だがいい具合に色褪せた脇侍が、四天王のように文殊菩薩さまを守っている。デコラティブだけど、色褪せ古びた感じが、荘厳なパワーを醸し出している。

 

 満足して再び急勾配の階段を、ゆっくりと降りる。今度はH氏が先に降りてくれ、下が見えないようナビしてくれた。

 ひとりじゃ絶対無理だった登楼だけど、彼のおかげでなんとか果たせた。お年寄りになってからでは、とうてい無理だったろう。間に合ってよかった。ありがたや、ありがたや。