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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

木之本地蔵院戒壇巡り

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 木之本に行ったら、まずは木之本地蔵さまを拝みに行かねば。昨年11月に行ったときのリンクを貼りますので、未読の方はこちらをご覧ください。

 木之本町のメインストリートは、駅前から線路沿いを右手に歩いて左手に折れ、木之本地蔵院に続く道だ。いわゆる門前町

 木之本地蔵院は珍しい時宗の寺院だ。霊験あらたかな秘仏地蔵菩薩さまを本尊とし、ご本尊をかたどった巨大なお地蔵様が本堂の隣に聳えていらっしゃる。

 前回H氏はこの方にお参りしなかったので、「これが敗因やった・・・」(何の??)とつぶやきながら、しっかりと拝んでいた。

 実は私たちは、前回、木之本地蔵院の半分しか体験していなかったので、それも今回クリアしておく。

 それは本堂の下の闇の回廊を手探りで歩く戒壇(かいだん)巡りである。さっき調べたら、地蔵院の戒壇巡りは平成18年にオープン(?)したらしい。つい最近じゃないか。

 それでも「戒壇巡りは善光寺以来やなあ」とH氏は感慨深い。あのときはおじいちゃんやおばあちゃん、それに幼稚園児のTくんも一緒だったなあ。20年も前のことなんだ。

 注意書きもあったが、もちろんH氏は読んでいなかっただろう。(お子様は危険につき入れない、大声を出さない、など。閉所や暗闇恐怖症の方もダメだろうな)

 300円×2人で、いざ! 

 わくわく。

 一度母親の胎内に戻り、再び生まれるという体験なのかも。普段は経験出来ないくらいに真っ暗なので、何も見えない。何も見えない暗がりにまず感動だ。細い通路の壁を頼りにつたいながら、ゆっくりと進む。

 前を行くH氏が「あれ?あれ?」と窮地に陥ったようだ。「なんか行き止まりになってるし!」

 「横道があるで。そこは曲がるの!そこ、角になってるの!」

まっすぐしか進めないなんて、キミはイノシシか!

 おそるおそる歩きながら「こんなに暗いと、頭、打たへんか心配やな!」「ほんまや!!」とチビなふたりが、無駄な心配を語り合った(笑)

 狭い通路は何度も曲がりながら続いて行き、意外に長い。出口がなかなかやってこないので、ちょっと不安になったりする。まさかの遭難?

 

「こんなとこでオナラしたら、最悪やな〜」と笑い、不安のガス抜きをする。

 「あ、なんか光が微かに! 出口近いかもしれへん!」とうれしそうにH氏が口にする。

 

 やっと出て参りました!

 でも、これで終わる訳ではない。次は隣にある「裏地蔵参拝所」へ。「裏地蔵」って!?

 ここでもやはり説明書きをみのがしていたので、「裏地蔵」の意味が不明だ。

 今調べたら、「地蔵堂本尊の裏側で、厨子の中に秘仏地蔵尊の複製がある」ということだ。

 その裏地蔵参拝所に上がると、紙とペンが置いてあり、「『般若心経』の一文字をご記入ください。その紙を裏地蔵厨子の前にお供えください」とある。前には「般若心経」全文が額に入って掲げられていた。

 こういうときの私のチョイスは早い。

「最初の字がええわ。『般若』でいこ」。H氏に異議がなかったので、H氏は「般」、私は「若」と書いて、お供えする為に厨子前に置いた。

 えっ!! なに、この「般」は!? 

 その「般」は、しばらく笑いが止まらなかったくらい、へたくそ芸術的な字だったのだ。芸術的といってもピカソみたいではなく、良寛さま的なので、たぶんお地蔵様も、お和みになったことだろう。

 その後、阿弥陀堂に行き、隣のお稲荷さんにもお参りをする。お稲荷さんに油揚げがお供えしてあるのを、初めて見た。

 ところで、さっきウィキペディアを見て愕然。またもやポカをしたふたりだったのだ。説明書読まずに新製品にさわるタイプの人の失敗ですね。

平成18年(2006年)から「御戒壇巡り」が始められた。これは参拝者が厨子の下を巡るもので、31間(56.7メートル)の漆黒の闇を歩き、錠前に触れることができる。この錠前は地蔵菩薩の手と結ばれているという。

 錠前って何? それ、触ってないし! H氏は触ったのだろうか? じゃあ今回も、何かに負けてしまった!?