濃いのは誰だ?
さてこの「特別展覧会 狩野山楽・山雪」のキャッチコピーは、「京都の 狩野派は 濃い」だ。たしかにたしかに、とっても濃い内容だった。
でも展覧会の「濃さ」は、山楽・山雪の絵だけのものではない。それぞれの絵につくキャプションが、猛烈にアツいのだ。
キャプションは「これでもか!」と形容詞をつけまくり、修飾語をならべ、賛辞を炸裂させ、自己陶酔する。慣れていない人は、「キャプションあたり」するかもしれないと心配になるほど。いや、慣れてる人もいないけど。
はじめのうちは、「なんや? この暑苦しくて押し付けがましいキャプションは?」と、眉をひそめぎみに読んでいたのだが、膨大な展示品それぞれに飽くことなき賛辞を連ね、維持されるテンションが、だんだん「ほほう?」という興味に変わっていった。
いやいや、「維持されるテンション」というのは違う。進むに従って「いや増されるテンション」なのだった。キャプションを書けば書くほどに、高まる興奮というか。どんだけ山楽と山雪好きやねん、と呆れるのを突き抜けてしまうくらい。
とくに最後の部屋は「極みの山雪ワールド」とタイトルが付けられ、その説明文の中では「山雪のたどりついた美の極致」と表現されていた。確かに展示品も素晴らしい大作ばかりだったので、おもわずヒロミ・ゴーの「あちち、あち〜♪」というそら耳BGMが流れるくらいアツかった。
たとえば「雪汀水禽図屏風」には金や銀が使われている。流麗に鈍く輝く銀の盛り上がる水の表現については、こんなふうに。
絵画と工芸の幸福な結婚。こんな作品が日本にあった。その幸せをかみしめたい。
山雪のすばらしい大作は、何点も海外に流れていて、このたび里帰りして展示されているのもあるからねえ。あながち大袈裟ともいえない。
「龍虎図屏風」については、こう。
マニアックな描写力が虎の存在感を保障している。山雪の画は濃い。
そういうあんたのキャプションも十分マニアックや〜!とつっこみたい。「存在感を保障」っていう言葉、はじめて目にした。「濃い」というより、もうこれは山雪への「恋」かもしれない。
「蘭亭曲水図屏風」もすごいぞ。
これぞまさに山雪の真骨頂、極みの山雪ワールドといえよう。
山雪がものすごく楽しそうに描いてる様子が、目に浮かぶような長い長い屏風絵だったもんなあ。8曲2双なんて、屏風でありえない長さだ。ほとんど絵巻物状態。逆に、「どんな広い部屋に置くんや!」という心配すら浮上してくる。
それから、まだあった。どれについてのキャプションか忘れたけど、
奇跡の絵画と呼ぶべき美しい画面に、陶酔していただきたい。
これって、丁寧だけど文法的には命令形だよね? 「陶酔していただきたい」。慇懃に「陶酔」の強要。
といって上から目線だけど、なんだか可愛い。あまりにも好きすぎて、つい他人にも同意を取り付けたい心理。わかります、よーくわかりますって。
という微笑ましいキャプションをあとに、ミュージアムショップでささっと絵葉書を購入し、京博をあとにしたのだった。