くつろぎの家
河井寛次郎記念館は、もと普通の住居なので、まずは靴を脱いで受付。人当たりのいいおにーさん(そんなに若くはないけど年下だし)に資料とチケットをいただく。
1Fは外国人の団体さんが英語で延々と説明を受けてらしたので、少しだけ見て2Fへ。2Fへは素敵な階段箪笥を使って上がるが、当然階段箪笥なので、手すりは無い。ところが見た目も安定感があり、実際上がるときも、ウキウキするほどスムーズだった。
不思議なのだが、2、3段目くらいの場所に、木の球を数珠つなぎにしたものが、だらりと下がっていて、それに捕まって中程まで上がると、あとは手すり無しで大丈夫。片側は解放感に満ちあふれているのだが、「数珠つなぎ」があるだけで魔法のような安定感だ。「数珠つなぎ」は、下の球が一番大きくて徐々に小さくなっていた。ほどよく手に馴染む感じの大きさは、さすが寛次郎先生だ。
素人目にはどこが善いのかを説明し難いのだが、とにかく、すばらしく「寛げる」、「落ち着ける」、「時間を忘れる」という住空間の重要項目をすべて満たしている。何もしていなくても、そこにいるだけで幸福な気持ちになれる場所。
素敵な意匠に感心したり、豪華な壁紙にうっとりしたり、精緻な細工に唸ったり、という場所ではない。むしろ、その逆をいくお家だ。
床板の貼り方が面白いなあ、と思って調べたら「朝鮮張り」というらしい。傷がつきにくく痛みにくいそうだ。いいなあ。
そういえば、ウチの台所の床がダメになりそうなので(いや、すでに相当アブナい)、予算に見合えば考えてみたい。素敵でした、「朝鮮張り」。
客用テーブルとして臼が使われてるんだけど、全然違和感なく、逆にむしろ快適。足がつっかえそうなのに、客としてお茶をいただく分には、全然問題なくいけます。
椅子は前にも書いたように、お尻の形に2カ所浅い凹みがついているので、木製だけどとてもフィットしてほっとする。
2Fから中庭を見下ろすと、砂利が敷いてあり小笹の植え込みがアクセントになって、なぜか石の球が鎮座している。雑草は抜かれているがタンポポだけは許されていて、うれしげに黄色い花を咲かせていた。作業場(登り窯!)付きの離れの前には、藤棚もあり、なんとなくうれしくなるような植物チョイスだ。
登り窯近くのトイレの前にも、素敵な木製の椅子があり、ほのぼのしたホスピタリティを感じる。離れの玄関には、石の素朴な招き猫がいらっしゃり、頭にお賽銭(!?)を乗せてらした。
記念館というより、ちょっと古い親戚の家に遊びに来たという懐かしい感じ。古民家なのに暗くない、というのも採光が工夫されているからだろう。吹抜けになっているから、よけい明るいのかも。きっと細かなところまで、寛次郎先生の目が行き届いているに違いない。見どころはきっと、「その場に身をおいた自分の気持ち良さ」。寛次郎さんと一緒に暮らしたこともあるお孫さん、鷺学芸員さんが、こんなことをおっしゃっている。
お越し下さる方々に時間的・空間的な何かが提供できていれば良い、と考えています。 これからも「見ていただく場所」というよりは、「過ごしていただく場所」であり続けたい、と願っています。
(アート情報総合サイト アートで遊ぼう 京都MUSEUM紀行。第二回【河井寛次郎記念館】)より
またぜひ、くつろぎにいってみたい。(あれ?河井寛次郎作品は、って? いや〜、なにげなくお部屋に置かれていた作品込みで、空間がよかったのですよ)