特別展「當麻寺」 その2
ふつう仏教美術の展覧会で、感心したり唸ったりすることはあるけど、度肝を抜かれることはそうそうない。
ところが、今回はやられましたね。仏教美術展を見始めて30年、これほど茫然自失したことは、かつてなかったのではなかろうか。
非常に信仰厚く、清らかに生きた中将姫が臨終を迎えた時、当然、最高ランクの「お迎え」がやってくる。阿弥陀如来さま、脇侍の観音菩薩さまと勢至菩薩さまはもちろん、25菩薩たちがそれぞれに楽器を手にし、音楽を奏でつつ舞を舞いながらやってくるのだ。中将姫は差し出された蓮華台に乗り、ミュージック&ダンシングの中、極楽往生を遂げるのだが。
仏像自体は小さめなのだけど、この金色の群像からは、音楽がわき上がっている。しかもバリ舞踏かというくらいカラダをくねらせて、臨終とは思えない活気溢れる「お迎え」だ。
阿弥陀三尊だって踊ってこそいないけれど、丸い金の光背に放射状の棒が広がっている様子などは、シンプル故に迫力がある。なんといっても「お迎え」のメインであり、トリを受け持つセンターなんだから重みが違う。
でもいわゆる「阿弥陀如来」という厳かな感じでもないかなあ。「はいはい、よう生きられたなぁ。ようこそ極楽へ。命の母、持っていってもらいまひょ」とでも言うような、ほのぼのした慈愛みたいなものが、あるようなないような(どっちや!)。
このフルオーケストラかつダンシングなチーム25菩薩、いつまでも見ていたいような、躍動感溢れる仏様たちだった。
それから「當麻曼荼羅縁起」の絵巻。これは當麻曼荼羅を作ったと言われている中将姫の生涯(伝説?)を描いたもの。
ラスト近くで、中将姫が「生身の(!!)阿弥陀様をみたい。見るまでここから出ません」とひきこもりを開始したら、化尼がやってきた。その化尼こそが、阿弥陀如来さまだった、という箇所が、ものすごく好き。
縁側から光を放ちながら飛んでゆく化尼は、まぎれもなく「シュワッチ!」と飛び去るウルトラマンと同じ恰好だ。絵巻だから時間軸は左に流れているので、少し左の雲の上から、阿弥陀如来の頭が覗いているという描き方が、やたらキッチュで心を鷲掴みにされた。仏像を円谷プロのあれこれと比較した、みうらじゅん師の比喩(?)は、やはり間違っていない。ような気がする。
ラストの部屋では、當麻曼荼羅信仰は、浄土信仰につながって行き、法然上人、その弟子の証空上人などと共に知恩院との関わりなども説明されていた。それどころか、一遍上人や役行者、修験道とも関係し、當麻寺の裾野の広さを思い知るのだ。
(写真は後日アップします)