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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

ボストン、ありがとう。

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 今回、仏像や絵巻物の超一品も展示されていたのだが、悲しいかな展示替えがあり、終了した前期にそれらが展示されていたらしい。

 しかし図録を見返せば、京都国立博物館で20代前半に見た覚えがある「如意輪観音菩薩像」(前期展示)などもあるではないか。やはり35年も美術館や博物館に足を運んでいれば、複数回見る機会は巡ってくるらしい。

 弥勒菩薩立像とか地蔵菩薩座像とか「吉備大臣入唐絵巻」や「平治物語絵巻」とか見たかった。絵巻はやっぱり昔見た覚えがあるのだけど、やっぱり若い時には「見た」というだけで、入り込むものがなかったなあ。それにしても日本画の炎の美しさったらないな。

 今回は屏風絵や襖絵など、大画面のものが多数展示されていた。ひとつひとつが大きく、しかも屏風や襖はセットものなので、よけいにかさばるから、点数が少なく感じたのも仕方ない。その分、大画面の迫力は実物を見ないとわからないから、お得感はあるかな。色彩もそうだけど、大きさから感じるものは、図録とはまるで違う。

 お気に入りの作品は、当然いくつもあった。

 先だって見たばかりの狩野山雪水墨画「十雪図屏風」。きっちりと丁寧な筆遣い、大自然のなかでちまちまと描き込まれた人物も、生き生きとした表情を持っている。さすが。雪景色で雪だるまを作ったり、屋根の雪下ろししているような水墨画は、初めて観た。

 なのにその、一番私が好きな場面が図録にないなんて、がっかりだ。

 一転、金屏風にカラーの「四季花鳥図屏風」は楽しかった。狩野永納の筆による。華麗な牡丹の隣、ダイナミックにうねる松の下には、すみれ、たんぽぽ、つくしが、素朴に可憐に佇んでいる。振り幅の大きいコントラストだ。

 同じく金屏風に咲き乱れる芥子の花という意匠の「芥子図屏風」は上品で、まるでいわさきちひろの描くチューリップのようにファンタジックだった。この素敵さも、図録ではまったく伝わらないな。

 展示品の目玉のひとつ、尾形光琳の「松島図屏風」は、金と緑と茶のバランスや色合い、波や島の造形が独特で絶妙。緑色の透明度のある美しさといったら! あの色は印刷ではムリ、絶対!

 私が一等好きなのは、伊藤若冲の「十六羅漢図」。これ、サイコーだった。4人しかいないんだけどね。残念ながら絵葉書がなかったから、これのために図録を買ったといっても過言ではない。それくらい好き。

 大画面じゃないとわからないけど、それぞれの眼差しが「ハラにイチモツ」というか「一筋縄では行かない」というか、「海千山千」というか。よくマンガでよからぬ妄想をしているオジさんみたいな目つきだ。左から二人目の何か読んでいる羅漢さんなんて、ほとんどイタズラ好きの「チビのミィ」だ。羅漢さんなのにね。

 もちろんラストの曾我蕭白、ダイナミックでしたわ〜。自由奔放というコトバは、彼のためにあるんじゃないかと。『風仙図屏風』を見て「こんな力強い筆の運び、みたことない」とつぶやくれんくみさんは、さすがのプロだ。それに風の親分をを黒い太い渦巻きで描くなんて! この大胆な記号化は、マンガに近い。

 ポスターにもなっている『雲龍図』は、まずその巨大さに圧倒される。八面の水墨画の襖絵だ。でもその筆遣いは、水墨画とは思えない。なんだか、やっぱり「マンガ」。恐ろしく画力のあるガロ系っぽい。

 曾我蕭白の描く仙人たちも、不気味な子泣き爺、もしくは「へうげもの」に出てきた田舎暮らしのスゴイ数寄もの「へちかん」のそっくりさんで、おお、とのけぞってしまう。まさか山田芳裕さん、蕭白をパクった?!

 じつは『雲龍図』、襖から剥がされた状態で保管されており、放置されていたものを、キレイに修復されてやってきたらしい。

 廃仏毀釈や明治期の混乱で、日本美術品の多くが海外に流出してしまった。しかし、関東大震災、太平洋戦争を経てみると、むしろアメリカで保存されたことによって、これらの国宝級美術品が生き延びることができたともいえる。ボストン、彼らを守ってくれて、どうもありがとう。これからもときどきは里帰りさせてあげてください。夜露四苦!