初瀬詣で文学三昧。
観音様とご対面の前に、ちょっとブレイク。
長谷寺に行くにあたって、ざっと予習はした。『源氏物語』は『あさきゆめみし』でしか読破していない私が、いろんな訳で源氏を読まれたRさんと「玉鬘」や「初瀬詣」や「髭黒」の話でもりあがれたり、「わらしべ長者」話題でれんくみさんと意気投合したりしたのは、そんな予習の賜物である。
長谷寺はもともと初瀬が長谷に転じたものらしい。
さっきまで歩いていた初瀬商店街には、この地を「こもりく(隠国)の里」と呼ぶのぼりや看板があった。「こもりく」とは、川を挟んで両側から山が迫る奥まった地域のことをいうらしい。ここには初瀬川が流れているから、そんな地形なのだろう。
古くは初瀬は、泊瀬、始瀬、終瀬とも表記されていた。瀬が始まるところ、もしくは瀬が果てるところ、すなわち冥界への入り口として生と死が交わる聖なる地なのだ。長い歴史をもった、いわゆるパワースポットなのだ。
長谷寺のある奈良県桜井市初瀬町は、『古事記』、『日本書紀』を筆頭におおくの文学作品にその名を刻んでいる。
源氏物語「玉蔓」の巻には参詣の様子が描かれており、玉蔓とかつて母、夕顔に仕えていた右近との劇的な再会がある。右近は光源氏に仕えるようになっていて、その縁で玉蔓は、光源氏の庇護のもとへ、と物語は展開してゆく。
当時は、「初瀬詣」が盛んに行われ、人気を博していたのだ。
平安時代の「蜻蛉日記」「更級日記」にも初瀬詣の記述がある。当時は観音菩薩への信仰は貴族階級の女性にも広く浸透していたらしい。
『枕草子』だって清少納言も一度ならず長谷寺に詣でたことが記してあり、「蓑虫などのやうなる者ども、集りて、立ち居、額づきなどして」と結構な毒舌ぶりを披露している。
参拝するひとたちを「蓑虫」って!? とんだ上から目線だ(笑) 参拝者のお参りは「五体投地」という正式な礼拝形式なのだが。現代語訳はこんなかんじだ↓
たいへんな思いをして急な階段を登りきって、ご本尊のお顔を早く拝みたいとこっちは急いでいるのに、前の方に蓑虫のようなヘンテコリンなかっこうをした者がいる。そいつが立ったり座ったり、額づいて礼拝しているのが邪魔で邪魔で、目障りでしようがないったらありゃしない。あんまり癪にさわるものだから、いっそのこと後ろから押し倒してやろうかと思ったくらいよ。
清少納言、こわい女だねえ。
百人一首で有名な和歌にも、初瀬は詠み込まれている。源俊頼朝臣のせつない恋心。
憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを
(現代意訳)
私に冷たかった人の心が変わるようにと、初瀬の観音さまにお祈りしたのだが、初瀬の山おろしよ、そのようにあの人の冷たさがいっそう激しくなれとは祈らなかったではないか…。
あと、幕末が舞台の小説『大菩薩峠』にも初瀬詣は登場するらしいが、41巻でしかも未完という物語には、付き合いきれないので割愛する。なんと幕末から明治へと時代が移って行くのだな、と当然読者は思うのに、なぜか架空の世界へ迷い混んでしまうらしい。とはいえ、当時の文学者は絶賛されているので、迷作ではなく名作らしいが。