大黒堂と英霊堂
えっ!?
大黒堂の紋は二股大根のぶっちがい!?
調べてみると、二股大根は大黒天に供える縁起物らしい。
なんだかユーモラスで、どこかかわいい紋だ。
そして英霊堂。明治39年、聖徳太子の遺徳を奉賛するため鐘楼として建立された。戦後は英霊を祀るお堂として改名される。
もともとは世界一の大梵鐘を収めた鐘楼だったのだが、戦争の金属供出によって、せっかくの「世界一の大梵鐘」は失われてしまった。
普通の梵鐘をつくるのだって、なかなか難しく大変な職人仕事なのに、世界一の大きさなら、並大抵の苦労じゃないだろうし、技術的にも二度とできないものかもしれないのに。
そもそも梵鐘を人殺しの道具にするなんて、バチアタリだと思う。長浜市の木之本地蔵のように、供出を止める方がいらっしゃらなかったのが残念だ。まあ確かに、かなりの立場の人でなきゃ無理だったろうけど。
左右の石柱にあるのは、百済の賢人・日羅が聖徳太子を礼賛する言葉だ。古代文字で彫られているそうだ。
右の意味「救世観世音の生まれ変わりであり、仏法の法脈を伝える東方日本の王である聖徳太子に敬って礼拝します。」
左の意味「西方より生まれ変わり(→聖徳太子の前世はインドの勝鬘夫人、中国の南岳慧思であったとされている)、日本仏法開租である聖徳太子が、人々に尊い仏教の教えをおしひろめ、導かれた」
大梵鐘、見たかったなあ。戦争ってホント、「もったいない」の極みだ。
きな臭い人は、とてもロマンチストらしく、戦争を語る時のワードに「平和」や「愛」という言葉がよく使われる。もう、すっかり「平和」という言葉の反語的意味に、アラーム反射してしまう今日この頃。