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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

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30年来のあこがれ!石峰寺

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 石峰寺は、「百丈山(ひゃくじょうざん)」と号する黄檗宗寺院。 宝永年間(1704〜1711)、万福寺の千呆(せんがい)和尚の創建と伝えられる。当初は諸堂を完備した大寺だったが、度重なる災火により堂宇を焼失し、現在の本堂は、昭和60年に再建されたもの。

 黄檗宗独特の、竜宮城のような赤い門を潜る。

 

 若冲の墓の前から、このような景色が見渡せる。昔の景色を想像しながら眺めると、ぜひここで眠りたいと願った、若冲の気持ちがわかる気がする、晴れ晴れとした展望だ。

 なにげな感じの伊藤若冲の墓。隣のロケットのようなものは、書画に秀でた貫名海屋の筆塚。

 同じく墓から石峰寺をのぞむ。

 トップの瓦の装飾も独特。

 さらに裏手の山へ、朱の門を潜ってどんどん上がって行く。

 寛政年間に画家伊藤若冲が当寺に草庵を結び、禅境を好み仏世の霊境を化度利益する事を願い、七代蜜山和尚の協賛を得て安永の半ばより天明初年まで前後10年余をかけて裏山に五百羅漢を作った。

 以前は千体以上あったそうだが、現在はほぼ四百体ほどらしい。

 山の中に出没するのは、伊藤若冲プロデュースの五百羅漢。釈迦の一生を石仏で表してある。釈迦誕生から来迎、涅槃、賽の河原まで。羅漢さんだけでなく、阿弥陀三尊、菩薩、仁王、托鉢修行する僧侶たちや、動物たちまでいる。すべてほのぼのと遊び心があり、かわいくユーモラスな造形だ。写真撮影は禁止されているので写真は無いが、蚊のいない(必須!)気候のいい時期には、ぼんやりと寛ぐには持ってこいのポイントだ。

 私は学生の頃、新聞の日曜版で石峰寺の五百羅漢を知り、ぜひ行きたいものだと思っていた。30年も前の話である。30年もかかったが、それでも見られて本当によかった。想像以上に心に呼応した。落ち葉の積もった地面に、竹やぶの木漏れ日の中に佇む、かわいい石仏たちの中にいる心地よさ。

 もう一度赤い門をくぐり、ふと足元を見ると・・・

 十字架の石柱を発見! 隠れキリシタンの遺物らしいと踏んだが、帰宅後、調べてみると、やはりだった。地蔵堂を建立工事の時に地中から出てきたらしい。石峯寺創建前の安土桃山時代のもの。それをご住職夫人が境内にそっと祀られたとか。「マリア地蔵」と呼ばれているらしい。五百羅漢と合わせ技で見るのにピッタリかもしれない。これもほのぼのしている。

 卍崩しの囲いが印象的。萬福寺もだけど、中国風の黄檗宗の寺院って、好きだなあ。

 トップにある鍵のようなものが何か、参加者の中で物議をかもしていた(?)が、やはり奈良寺院によくある「鴟尾(しび)」らしい。

 受付のある庫裏の方。

 複雑な龍の瓦。フリルのついた(!)瓦も。

 こちらはやや中途半端な場所に位置する玄武(亀)。思いっきり威嚇中。

 さて下山。

 再び伏見稲荷に戻り、お山巡りにチャレンジだ! 途中リタイアする気も満々だけどね。