両足院でチョンボ。
毘沙門天堂の前には、授与品売り場がある。おみくじをひいてみることにした。ここのおみくじは、キュートな虎型の容れ物に入ったものと、可愛過ぎる毘沙門天さまの容れ物との二種類あり、それは迷った。
でもウチには寅年の人もいないし、寅より毘沙門天さまの方が、容れ物としてはレアものかも・・・ということで、毘沙門天さまに決定! たくさんの毘沙門天さまのなかで、ひときわ輝いているようにみえるおひとりをつまみ出す。それが、これ↓
さすが内から輝きを放っていたのは、大吉だったからだね!
久しぶりの大吉がうれしい。でも祇園で580円のランチに出会うことが、そもそも大吉なので・・・今日の運は使い切ったかも。
いやいや24時間は、「大吉」は有効かもしれない。それにしても「いかつい」もしくは「りりしい」毘沙門天さまが、大黒様か恵比寿様のように福福しい。足元に邪鬼が欲しいところだが、この福福しさではムリがありすぎ、デザイン的に却下されたのかも。
さて、両足院の入口で靴を脱ぐ。 本堂で、案内を受ける。室中に二重格天井を備え内陣には、本尊「阿弥陀如来立像」を安置する。
庭園は、苔に青松が美しい唐門前庭。みどりが素晴らしく美しい。
まず建仁寺について。建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し中国で禅を学んだ栄西(ようさい)禅師を開山として宋国百丈山を模して建立された。師は在宋中、茶を喫しその効用と作法を研究、茶種を持ち帰り栽培し、「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を著すなどして普及と奨励に勤め、「日本の茶祖」として尊崇されている。
その塔頭である両足院は、建仁寺を開山した明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法脈を受け継ぐ龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師が開山した。臨済宗の寺院である。
徳見禅師は40年以上の長きにわたり元で学問を修め、中国に途絶えそうになっていた臨済宗黄龍派を再興し、中興の祖となったほどの人物だ。室町幕府を創設した足利尊氏・直義兄弟の招きにより、徳見もようやく帰国の途につく。この帰国の際に、徳見を慕って日本に渡海したのが林浄因(りんじょういん)。
浄因は、日本に「饅頭」を伝え、その末裔が老舗「塩瀬」をおこすなど食文化に重要な功績を残している。
茶に饅頭といえば、次に来るのは茶道だろう。茶道流派のひとつ薮内家とも深い縁のある寺院であるらしい。
これが半夏生。夏至を過ぎた頃に、穂状花序を葉の付けねにつける。また、花のすぐ下に位置する葉の表面が白く変化し、花弁の役目を果たすのが特徴である。
葉の片面(表面)だけが白くなることから古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれている。ドクダミ科の植物なので、開花期には独特の匂いを放つそうだ。
放つそうだ、と書いたのは、お庭に降りなかったから。本堂に設けられた受付でお茶席券を購入すると、お庭に降りて「水月亭」にてお茶をいただけるのだ。
なんとなく、場違いな気がして遠慮したのだが、「水月亭」って、何かひっかかってはいたのだ。
実は「水月亭」は、織田有楽斎好みの「如庵」の写し。腰張には中国の暦があり、その下には部屋を広く見せる仕掛けの三角の鱗板が嵌められている。外光をとりいれる工夫がされた有楽囲いの窓もある。
そうだ、「如庵」の写しが建仁寺にある、という話は、昨年夏に祇園歌舞練場のお庭を見た時に、説明していただいたんだった。あああ、スルーしちゃったよ。
でもまあ、書院から眺めるお庭は格別だったし、半夏生の群生もみられたし、よしとしよう。
クチナシの香りがそこはかと漂い、6月を満喫する。
両足院の境内はこちらからも垣間見えます。