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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

初・石山寺詣へ

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 ほんの5時間ばかりのバス旅の記事に、2週間弱も費やしてしまった。いつものことだけど。

 でもこの細かさが、後々検索すると役に立ったりする。帰宅後、旅のリアルタイムでは知らなかったことをブログを書く為に検索していると、新たな発見も沢山あるので膨らんで来るという事情も。ブログで贅沢な追体験ができるのだ。

 というわけで、いつのまにか10月になってしまったというのに、9月の出来事を今頃書くことになる。秋分の日が火曜に当たったので、デイサービスと祝日が重なり、H氏とのんびりおでかけする。

 なんと前日H氏からのお誘いで、場所は石山寺だ。滋賀県有数の古刹である。

 だが、当日になってもなかなか出かける様子が見受けられないので、いつ出かけるのか聞いてみたら、「ああ、そやった・・・」。

 忘れられていたのだ! 思い出してもらって、やっと出発(汗)

 稲刈りの終わり、秋晴れのすっきりとした晴天だ。まさしく行楽日和。

 石山寺紫式部ゆかりの有名どころなのに、なぜか今まで行っていない。県立美術館で行われた『石山寺縁起絵巻展』にも行き、それにも大いに興味をもっていたのに、なぜ?

 機が熟してなかったのかもしれない。今になって思えば、奈良の長谷寺に行ったあとで行けたのも、より石山寺を味わえたように思える。平安貴族女子の間で「長谷寺詣で」「石山寺詣で」は、共に行楽を兼ねた観音信仰のお参りとして、大人気だったのだ。

 瀬田に入ると、ちょっと威嚇傾向の狸がお出迎え。

 内田組という会社の前にある変わり信楽狸。目をひく大きさなので、ランドマークや東海道の目印、果ては自動車教習所のバス停にまでなっている。

 石山寺は、奈良時代天平19年(747)に、東大寺の良弁が開いた寺。本尊は如意輪観音平安時代以降、女性の信仰を集め、『かげろう日記』の著者藤原道綱の母(藤原兼家の妻)や藤原詮子一条天皇の母、藤原道長の姉)など、多くの貴族女性が参詣している。

 おっと、ちょっと見逃せない店構えと看板のお店が!

 「たにしあめ」? 滋賀県民なのに、知らなかった。三角のニッキ飴らしい。こんなものだそうです↓

http://www.ootu.gaido.jp/kankou/meisan/meisan/tanisiame.html(クリック)

 石山寺は京都の清水寺奈良県長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。また『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。

 会席とうなぎ料理の料亭の前を通り過ぎたら、

 瀬田の唐橋まで、もうすぐだ。

 ちょっといい感じの、昔ながらのお店を通り過ぎる。

 徒歩でひとりなら入るね、この辺のお店。そしてどんどん予定時間がずれ込むことだろう。

 

 ついに、近江八景のひとつでもある瀬田の唐橋まで来た。

『日本書記』にも登場する古い橋だけど、現在のこの位置に最初に作ったのは織田信長

 

その後何度も戦で壊れ、その度に架け替えられた。現在の橋は、昭和54年のもの。

 橋を渡ったら、もう一足で石山寺だ。

 駐車場に車を停めて、浮き浮きと歩く。「名物しじみめし」の看板を掲げたお店が並ぶ。「瀬田しじみ」は粒が大きくて美味しいのだ。ほとんど食べたこと無いけど(汗) それどころか、めったにお目にかかることもない。

 これは何のモニュメント?と思いつつ近づいたら、「石山縄文しじみ貝塚の塔」と記されてあった。しじみ・・・しみじみ。

 お土産物屋さんの並びを通り過ぎると、石山寺門前だ。