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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

「何を怖れる」

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滋賀県男女共同参画センターで上映会があったドキュメンタリー映画「何を怖れる フェミニズムを生きた女たち」をそそくさと見に行った。行政が関わるようになる以前の「ウーマンリブ」のメディアでは伝わらなかった重要な部分に、とても興味があったのだ。

 まず信州で行われた「リブ合宿」がすごい。うわさを伝え聞いた全国300人の女たちが集まり、自分自身のことを忌憚なく話すというもの。リーダーがいて説教する、みたいなのとはほど遠い。自己紹介で一日を費やしたという。話だけで熱気が伝わって来る。

 「とにかく布団の確保、食料の確保から始まりますから」。つまり「布団と食べ物にあぶれる人がいる」という、いまでは考えられない面白い合宿。

長年私が関わってきた、おなじみの本や雑誌の著者や編集長(者)の方のビジュアルや言葉を、身を乗り出して見た。「こわいおばはんら」というイメージの方もいらっしゃるでしょうけど、実は皆さん繊細で、人の痛みを黙ってみてられないような、おせっかいで姉御肌で、優しく親切で、そして類をみないほどピュアな人たちだ。実はどれだけの人たちが、彼女たちの恩恵をこうむっているかわからない。実際私は、樋口恵子さんがいろんなひとたちを巻き込みながら奮闘努力して作り上げてくださった「介護保険」のおかげで、どれだけ助かったか。初めてビジュアルで拝見した方もいらっしゃるので、懐かしくて新しいという感覚。

 たとえば、「強姦救援センター・沖縄」代表の高里鈴代さん。「女性と暴力」がテーマとなった北京での「世界女性会議」に出席し、いい感じで帰国した時に、沖縄米兵から暴行を受けた女性を支援していたのだが、彼女が控訴と取り下げたという報告を受け、とてもショックを受けられた話。

 「私たちがこんなに一生懸命支援しているのになぜ?」ではない。その女性への支援がまだまだ足りなかった事、守ってあげる事がどうして出来なかったのか、という自身へのすさまじい呵責で打ちのめされたという。思い出す度に流されるであろう涙は次へのステップになり、「強姦救援センター・沖縄」を立ち上げられた。

 NTTの全面的な協力を得て開通された電話は、開通時間と同時になり、「こういう機関ができて、とてもうれしい。わたしの(暴行された)ときもこういうところがあったら、と思うので。あまりにオープンがうれしかったので、電話させていただきました」というもの。性犯罪が明るみに出るのは、氷山の一角にみたないのだ。

 高里さんは「被害にあった女性たちみんなが声をあげることができれば、基地なんてなくなるはず」と静かに、希望をもっておっしゃっていた。

 映画のコピーは「個人的なことは、政治的である」。政治的ということは、社会的であり「みんなの問題」ということ。映画という形でしか伝わらない感動的な、あるいは刺さる部分もあり、でもそれは言葉にするのは難しい感慨や感情だったりする。それとNHKの障害者のバラエティ番組『バリバラ』と、感覚的にすごくリンクしていたのにも驚いた。

 もっともフェミニズムって広範囲だし奥が深いので、いやいやこれしきのものではないでしょう、という思いも。とても個人的な問題を突き詰めながら集めて行くとフェミニズムに行きついた、というところね。そういう映画から溢れちゃった部分は、ちゃんと書籍という形でフォローされているそうで、納得。