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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

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血天井

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 さて、この寺院のもうひとつのメインである(少なくとも寺院側は、そう思っているフシがある)血天井である。

 血天井三十三間堂近くの寺院、「養源院」でも見た。あれは京都・伏見桃山城の遺構だったが、こちらも同じ伏見桃山城の廊下である。

 慶長5(1600)年、徳川家康の忠臣であった鳥居彦右衛門元忠の一党の約1800人が、石田三成の軍勢と交戦し、多くの武将が討死した。生き残ったおよそ380人全員も自刃し、流れた血痕が床に残された。小嶋先生の説明で、けっこうわかりやすく、ヒトガタとして残っているのもあった。いや、あんまりわかりたくないんだけど(汗)

 亡くなった一党の魂を冥福しようと、血痕の残された床板は5つの寺院にわけられ、一部が源光庵にも奉納された。そして床板を天井にあげ、一党の魂の供養が行われたのだそうだ。

 そうか、五カ所の寺院に奉納されて供養されたから、養源院と同様のものがあるわけだ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏