血天井
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さて、この寺院のもうひとつのメインである(少なくとも寺院側は、そう思っているフシがある)血天井である。
血天井は三十三間堂近くの寺院、「養源院」でも見た。あれは京都・伏見桃山城の遺構だったが、こちらも同じ伏見桃山城の廊下である。
慶長5(1600)年、徳川家康の忠臣であった鳥居彦右衛門元忠の一党の約1800人が、石田三成の軍勢と交戦し、多くの武将が討死した。生き残ったおよそ380人全員も自刃し、流れた血痕が床に残された。小嶋先生の説明で、けっこうわかりやすく、ヒトガタとして残っているのもあった。いや、あんまりわかりたくないんだけど(汗)
亡くなった一党の魂を冥福しようと、血痕の残された床板は5つの寺院にわけられ、一部が源光庵にも奉納された。そして床板を天井にあげ、一党の魂の供養が行われたのだそうだ。