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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

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離宮八幡宮(続)

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ということで、林先生に話はバトンタッチされ、室町の頃は荏胡麻独占で巨万の富を得た上、八幡宮という神様をバックに従えていたため、お上も一目置く山崎のひとびと。だからその地にある離宮八幡宮には、権力者からの文書(もんじょ)なども300通ほど残されている。

 今回は、天王山の戦で山崎の地を戦場にしないよう(「禁制」というらしい)願い出た所、「禁制」を承知した明智光秀羽柴秀吉双方から貰い受けた文書を拝見した。こちらはいわゆる古文書綴りなので、まったくもって読めない(汗)

先生がおっしゃるには、こういう文書を書く担当者がいて、権力者はサインのみだったらしい。

 また、林先生いうところの「これはなかなか見せてもらえない貴重な資料です」な、足利義満から守護不入権等を保証した「御教書」も拝見できた。先生がおっしゃるには、「室町の頃の正式文書は楷書が基本」なので、私でも読めたくらいわかりやすい。

 古文書を見ながら、各人先生にフリーに質問されていた。そんななかで、「石清水八幡宮って、ここと男山とふたつありますよね、宮司さんはこちらの方が古いとおっしゃっていましたが、どちらが先にできたんですか?」と質問される方が。すると先生は「この場所でそれは口にしづらいですが」。

 ええっ!? そうなの? でも確かに男山の岩清水八幡宮ってものすごく由緒正しいし、高校のときの古文にも出てきたような記憶もあるし・・・。と思っていたら、件の質問した女性が「歴史はつくられるんですね〜」。

 おおっ、なるほど〜。吉良上野介が治めていた地では、彼は名君と慕われていたことを思い出した。忠臣蔵のおかげで、彼はすっかり悪役だもんなあ。

 神社のご由緒だって例外ではないだろう。宗教関係はさらに、伝説や物語が混入してるものだし。昔は権力を持っていた場所だから、声も大きかったろうし。 歴史は人間によって(都合良く)つくられるもの。いつも真実とは限らない。本日の収穫だね。

 ここでは、記念のお土産として「油断大敵」のお守りをいただいた。油の神様だけに。そして林先生は、ここでも小声で、「『油断大敵』は比叡山延暦寺の『不滅の法灯』から来ているんですが、荏胡麻油の神社ですから・・・」。

 社務所を出て、礎石のある場所を見てから、次なるポイントへ。