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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

増上寺で驚きのツーショット。

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 みぞれのような雨が降って、足元が濡れるのを気にしつつ歩く。それにしてもMさんご夫婦の仲良しなこと! ラブラブというよりは、穏やかに打てば響く盤石のコンビというか。

 温厚で気が利き親切なのに、そのユニークさで私の観察ニーズをしっかり満たしてくださるキャラの夫君は、毎回ちょこっとずつしかお会いしていないのに、初回からトリオでもすんなり溶け込めた垣根のない人。数年ごとにお会いしても、そのキャラクターは進化しても裏切られることはない。見た目も美僧のようだし(笑) お二人の関係が春の海のように毎度穏やかで、見ているだけでも心和みましたよ。Mさん、いいひとに巡り会えて、ほんとによかったね!

 煙る雨の中で、赤く瞬く東京タワーに励まされながら雪でぬかるんだ道を歩く。ほどなく増上寺の三解脱門に到着。丁度三人いるから、門をくぐればもれなく解脱できそうだ。ちなみに三解脱門とは、三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のこと。あ、これってもしかすれば、もともと私たちには薄い煩悩かも?(笑)

 今回は寺院ではなく、こちらの展示室が目的地。「この紋所が目に入らぬか!」と、徳川家をアピール。

 由来としては、室町時代の明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれた。室町から戦国時代にかけて、浄土宗の東の要として発展し、安土桃山から江戸時代には徳川家の菩提寺となり、盤石の地位を占める。明治に入って例の廃仏毀釈でダメージを得たうえ、2度の大火に遭うも徐々に復興の兆しが。しかしそれも束の間、昭和20年の空襲によって伽藍を焼失してしまう。それでもなお、昭和46年から4年の歳月と巨額の費用をかけ、復興を果たしたという、波瀾万丈な歴史を持つ。

 そんななか、焼失を免れ国指定文化財になっているのが、この三解脱門。

 いかめしく「浄土宗大本山」と彫りつけてあるが、本家の知恩院の三門を始終見ている私には「東の、ね」と軽くいなせる(おいおい〜)。

 降りしきる雨の中、睨みをきかす鬼瓦さん、ご苦労様です。

 個人的には「門の足元」というのが、どっしりした安定感があって好きだ。

 明日は「布教師検定試験日」なんだ! 布教師、ウチの夫が定年後になりたい職業だったっけ? あれは説教師だったかな。絶対、向いてると思う(笑)

 青銅の吊り灯籠に金色で魚の絵文字? 魚市場と読むのだろうか? もしかして寄進されたもの? 境内には、水産会社が建てた魚供養の碑もあるらしいし。

 さあ、門をくぐろう。みっつの煩悩から解放されよう。

 わああ〜! なんというツーショットだろう!!

 雪の寺院と東京タワー! 

 この眺めだけで、なかなか盛り上がった一行でした。