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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

伊東忠太の築地本願寺

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 五百羅漢図をたっぷりと鑑賞したあと、東京タワーまで歩く。雨のために雲が近くまで広がり、塔の先が霞んでいるのが趣深い。

 タワーの光り方も乙女チックでうれしい。

 真下からみた東京タワーにヨロコビを隠しきれずはしゃいでしまう私。

 タワーの中は、マンガの「ワンピース」祭だった。「ワンピース」はスルー物件だが、たぶん和物のお土産物として手ぬぐいだったか布物関係で、すごく気になるプリントものもあったけど、買わずじまい。

 道々には介護の話もしたけど、手短に話すのが苦手な私はひとことで済ませたけど、それには脚注が山ほど付く。介護する人やされる人それぞれだし、介護度にもよるし認知症のあるなしでも全く違って来る。そして介護は最低ふたり以上でするべきだし、介護サービスは全面的に利用すべき。

 最後の1ヶ月は、お祭りみたいに自宅での介護・医療関係の人の出入りがあって賑やかだったもんな。主治医の先生、看護士さん、ケアマネさん、介護施設のスタッフさん、介護用品レンタル担当者、訪問入浴スタッフの皆さんが、入れ替わり立ち代わり、ときには集合して。だから不安や心配は即座に相談して解消できたし。こういう環境を可能ならしめた幸運は、そうそうないのだろうけど。私はラッキーなレアケースだったとしかいいようがない。

 タワーの中(下?)のお蕎麦屋さんで、お昼ご飯。3人で美術館話題やガチャポン話題などでおしゃべり。それぞれ興味がシンクロしているので、楽しいひとときだった。

 東京メトロで途中までMさんご夫妻とご一緒し、私は途中でひとり築地を目指す。目的地は築地市場ではなく、築地本願寺。明治〜昭和にかけて活躍したの建築家・伊東忠太の作った代表作だ。ずーっと見たかった憧れの建物。

 地下鉄を上がって横断歩道で信号待ち。あれがそれっぽい。

 やっぱり!

 築地本願寺は、大正十二(1923)年、関東大震災により坊舎を焼失。東京(帝国)大学工学部教授・伊東忠太博士の設計により、昭和九(1934)年、現在の本堂が落成した。この本堂の外観は「インド様式」の石造りとなっているが、内部は伝統的な真宗寺院の造りだ(にしては豪華でカラフルだったけど)。

 そして、F.L.ライトや夏目漱石と同年生まれの明治〜昭和の建築家、伊東忠太の建物には数多くの不思議な生き物が潜んでいる。以前「京の夏の旅」で見た「祇園閣」しかり↓

 西本願寺ちかくの「本願寺伝道院」しかり↓

 うーん、こうして見ると、変幻自在だなあ伊東忠太先生。銅板で屋根を葺いた山鉾状の塔「祇園閣」、煉瓦作りの西洋建築「本願寺伝道院」、インド式の石造り「築地本願寺」。バリエーションが多彩だ。

 また彼は、昨年の11月に行った山崎での聴竹居を作った藤井厚ニの師でもあり、藤井氏は師へのリスペクトにより、伊東忠太の作った不思議な置き物を玄関内外に飾っていた。

 そう伊東忠太は、水木しげるのずっと前から妖怪マニアだったのである。

 そこも非常に気になる人なのだ。はたして築地本願寺にも、不思議な生き物はいるのだろうか?

 一方学問的には伊東忠太は、西洋建築学を基礎にしながら、日本建築を本格的に見直した第一人者で、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始した。

 当時、学問のためには欧米へ留学するのが常識だったが、日本建築のルーツを訪ねるため、アジアへの留学を選び、中国からインド・トルコを旅した。中国では雲岡石窟を発見している。

 伊東忠太先生については興味が尽きないけれど、まずはこの翼のはえたライオンさんにご挨拶だ。