以前の「紙魚子の小部屋 パート2」はこちらhttp://blog.ap.teacup.com/tanukitei/から、 その前の「紙魚子の小部屋」はこちらhttp://ivory.ap.teacup.com/tanukitei/から。

紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

熊野神社

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 まずは熊野神社に向かう。須賀神社は逆方向にある。途中に聖護院八つ橋の老舗「西尾」さんの前にひとだかりが。

 店先の餅花にハサミを入れ、通行人に配布中だったのだ! 私たちも「餅花」をいただいて、テンションがあがるあがる! 「西尾」さんのおふるまいはそれだけではない。別の行列もあった。

 「西尾」の法被を来たスタッフさんがお餅つきをされていて、つきたてのお餅をふるまっている。きな粉とぜんざいどちらかを選べるのだ。もちろん、私たちは列の最後尾についた。

 手際のいい店員さんたちが手早くさばいて行くので、列はどんどん進む。奥に床机(=しょうぎ)がいくつも置いてあるので、座って食べることができた。私はきな粉餅、れんくみさんはぜんざいをチョイス。私のとなりに座っていたおじさんが、れんくみさんに気さくに話しかける。

 「ここのぜんざいは、さすが和菓子屋だけあって小豆がうまいねん!」。なるほど〜! いや、きなこ餅も美味しかったので、あっという間に平らげましたが。

 これらの「おふるまい」にほくほくしながら、再び熊野神社へ向かう。

 熊野神社は、平安時代修験道の日圓(にちえん)上人が、国家守護のため紀州熊野大神を勧請したことから始まる。

その280年後に聖護院が、熊野神社を守護神として、別当職を置いて管理された。紀州熊野のシンボルでもある八咫烏デザインが、こちらの神社でも見受けられる。

 ほらほら、こんなところにも↑あんなところにも↓

 熊野信仰が盛んだった平安末期、後白河法皇も厚く崇敬し社頭の整備に力を注ぎ、その後も天皇、武士、庶民からも厚く信仰された。

 しかし応仁の乱により荒廃。江戸時代になり、天保6年に再興される。現在の本殿は、下鴨神社の旧本殿を移築したものだとか。

 門扉にも、しっかり八咫烏デザインが付けられていた。

 狛犬は食いつきそうな口をしている(汗)

 提灯にはカラス、本殿には獅子と象。

 さて、このモニュメントは何かな?

 「八つ橋発祥の地」の碑と、生涯を八つ橋に捧げた「西尾」中興の祖、西尾為治さんの銅像だ。

 ここで熊野神社のご神木「なぎ」の小枝のついた福豆や火伏のお札を買い、みたらし団子を食べたりした(さっき、きな粉餅を食べたばかりでは!?)