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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

須賀神社

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 さあ、次は須賀神社へ行ってみよう。縁結びの神様だけど、交通安全部門も担当されているとか。

 節分だけ、一見「平安時代月光仮面?!」と見まがう、不思議なお方が徘徊する神社だ。

 熊野神社から聖護院を通り過ぎ、須賀神社へ到着。

 ほぼ女子で賑わっていました。

 その理由は、のちほど。

 看板にある「懸想文売り」の懸想文とはラブレターのことですが、

 この烏帽子水干姿のお方が、「懸想文」を手渡ししてくださいます。いや、誰彼かまわずテッポウも数打ちゃ当たるっていうのではなく、単なる「売り子」さん。

 だって「代金」と引き換えにね。「懸想文売り」さんですからね。

 そう、ここの節分会の見ものは、「懸想文売り」がこの時だけ姿を現すこと。彼らは文(ふみ)をつけた梅の枝を右手に持ち、左手には懸想文を持って、境内を歩いているのだ。

 そしてこの文は、縁談や商売繁盛の願いを叶えてくれるお守りらしい。人に知られないように鏡台やタンスの引き出しの中に入れておくと着物が増え、容姿が美しくなり、良縁にも恵まれる、ということらしい。

 好奇心おう盛な私たちがスルーするはずもなく、でも縁結びや容姿アップは二の次。「タンスにゴン」ならぬ「箪笥に着物増」狙いだ。

 そもそも懸想文とは、公家など限られた人しか文字が書けなかった時代に、自分の恋心を代わりに書いてもらっていた、つまりラブレターの代筆文だ。懸想文の風習は平安時代から始まり、江戸時代になると盛んに行われ、いつしかラブレターの代筆業を行う「懸想文売り」が登場。

 懸想文売りがなぜ顔を隠しているのかというと、この商売をしていたのが、貴族だったから。町の人々に代筆業のアルバイトをしていることがばれないように顔を隠していたのだとか。

 この風習は明治に一旦廃れたが、第二次世界大戦後、夫婦神がまつられている須賀神社で節分祭の2日間だけ、再び懸想文売りが現れるようになった。ということで、この2日間は、懸想文を買いに大勢の女性が神社にやってくる。わが子に良縁をと、母親が懸想文を求めて訪れることもあるとか。

 その境内で、懸想文以上に私の心を奪ったのが、2,3日のみ販売される「大徳屋本舗」の「須賀多餅(すがたもち)」。

 1個ずつビニールに包まれ、それを取れば薄黄色のやわらかな牛皮の上に御幣が刻印された餅が現れる。ずっしりとした重さが有り、中には白い漉し餡に柚子の香りが。災厄を祓い、家庭円満を授けてくださる須賀神社の尊さを感じた大徳屋が、神社にちなんだ菓子を考案して、須賀多餅と命名したのがコレ。

 バラでも購入可なので一個購入し、いま食べたいのを我慢して、そろそろ聖護院に引き返さねば。・・・って、さっき熊野神社で、みたらし団子を食べたばかりでは!?