さざなみ古書店、ふたたび
夫婦で朝ご飯のあと、次の朝ドラ「とと姉ちゃん」の番宣を眺めていた。「暮らしの手帖社」を作った大橋鎭子(しずこ)さんがモデルのドラマなのだ。
そういえばこの間来ていた友達が、『昔の「暮しの手帖」はよかったなあ、子どもの時にあったの、残しておけば良かった』と言っていたっけ、とH氏に言うと、
「前に行った長浜の古本屋さんにあったで、『暮らしの手帖』の古いバックナンバー」
ええっ?! よくそんなこと覚えてたねえ!
「買いにいって、あげたらええやん」。ああ、なるほどねえ。荷物にはなるけど、まあおいおい新居に持って行くとしても、しばらく実家に置いてあってもいいわけだし。
ということで、いつものようにH氏の行動は素早く、お昼ご飯を食べてから長浜の「さざなみ古書店」に出発。まさかジャケットはいらないよねえ、といいつつも、なにせ湖北なので、油断はできない。同じ滋賀でも長浜は北陸寄りの気候なので、念のためにジャケット持参。車の中は、トレーナーですら暑いくらいだけどね。
春の強風で、いつもは穏やかにきらめく琵琶湖には、めずらしく高く白い波頭が立っていた。
打ち上げられる波は、「ざばあ〜ぁん!」と、東映映画のオープニングみたいだった。
長浜に到着。長浜は、寒風吹きすさぶ北国だった。ジャケットなしではやはり無理そう。
商店街を歩いていて、うっかり鞄屋さんのバラエティあふれる品揃えに見入ってしまったら、店主のおばさんに招き入れられる。せっかくなので、すみからすみまで拝見した。驚くべきことに、見ていて楽しくなるくらい、ユニークで、あんまり見たことの無い感じの品が多い。しかもそれぞれデザインが違う。
店主いはく、「不況ですから、なるべく他の店にはないカバンを探して、新幹線で買い付けに行ってるんです」。
花のモチーフをあしらったシフォンで覆ったマドモアゼルなカバン。メタリックな布で色合いがグラデーションになったのをパッチワークにした凝ったカバン、ごく浅い台形の不思議な形のカバン。上部がラタンぽくて下部がゴブラン織りの上品なカバン。見ているだけで、わくわくする。わくわくついでに、えいっと買ってしまう。たしかにカバンも気に入ったのだけど、店主のお店の作り方に、いたく共感してしまったのだ。
そんなふうに、寄り道をしつつ「さざなみ古書店」に到着。
H氏の記憶通り、入口のアプローチからすでに、’60〜’90にわたる『暮らしの手帖』がずらずらと。あんまり古いのはさすがに写真もモノクロが多い。70年代にはいると、カラーの美しいグラビアが入って来て「もはや戦後ではない、それどころか高度成長期」な時代の気配が感じられる。表紙もデザインや色合いがシャープで美しい。
70年代始めのものを数冊求めて、さらにぶらぶら。
さっき通りかかった時には「準備中」の札がでていた、石窯焼きのパン屋さんがオープンだったので、短い列に連なって商品を見れば、なんと1種類しかない。高額胡桃パンを買ってしまうはめに。せっかくだから、車に戻って焼きたてを少し食べる。外はかりかり、中はふあふあの見本で、車内に香ばしい胡桃パンの幸せな香りが充満する。
明日の朝の幸せなパンの香りを楽しみにしつつ、私が子どもの頃の時代の、花森編集長の気概あふれる文章を読みつつ、湖南に戻る。