以前の「紙魚子の小部屋 パート2」はこちらhttp://blog.ap.teacup.com/tanukitei/から、 その前の「紙魚子の小部屋」はこちらhttp://ivory.ap.teacup.com/tanukitei/から。

紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

本堂

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 本堂に到着。いい具合に古びて、趣がある。これは右サイドからの本堂。

 現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造。小振りだが天台形式の構造をもった均整のとれた建造物で、平成16年12月に文化庁より重要文化財の指定を受けた。

 ミツマタともよくマッチしている。

 屋根には波頭の瓦が乗り、懸魚が三つも。度重なる火災を経ているので、火除けの祈りがこもっている。

 屋根の内側のラインや回廊にも、うっとりする。

 回向柱が天に向かって願いを立てていた。

 この文章は、回向文(えこうもん)と呼ばれ、「願わくは此の功徳を以(も)って、普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生(しゅじょう)と、皆共(みなとも)に仏道を成(じょう)ぜんことを」というような意味で、皆が一緒に悟りを得られますようにとの願いが書かれている。

 専門家ではないから詳しい事はわからないけど、屋根の内側もいい感じ。正面中央に軒唐破風が付せられているので、なだらかな曲線のカーブが優美。

 蛙股にも植物の華麗な装飾。彩色もきれいだったんだろうなあ。

 波濤の瓦の中心には、黄金の法輪が。

 鎌倉時代の作とされる「石造宝篋印塔」。

 左サイドからの本堂回廊と屋根。

 では、本堂へあがりましょう。

 静かな山奥の寺だ。さまざまな鳥の声ばかりが聴こえる。

 あっ、正面の擬宝珠(ぎぼし)に、何か刻み込まれている。

百済寺本堂 慶安5年壬辰3月吉日」の刻銘。

 本堂内部には、外陣と内陣とに引違格子戸を用い、内陣の厨子には、秘仏本尊の2.6mもある巨像の十一面観音立像(平安時代)を安置している。秘仏なのでお厨子の中。

 本尊脇侍の如意輪観音半跏思惟像と聖観音座像の二像が公開されている。織田信長による焼討(天正元年4月11日)時に、本尊とともに火難を逃れた数少ない仏像。二体とも院祐作。百済寺HPのトップにこの観音様さま2体の画像があるので、こちらを→http://www.hyakusaiji.jp/contents/treasure/01.html

 

 ところが内陣とを隔てる格子戸越しなのは仕方ないとしても、観音さまたちは遠いので、ちいさな望遠鏡で見る事になっている(汗) これでは全体を一目で見られず、なんだかフラストレーションが増幅。自前でオペラグラス持参をおススメしたい。いや、もしかするとオペラグラスでは、格子戸がジャマをするのかもしれない。

 パンフなどの写真でみる如意輪観音半跏思惟像は素木の寄木造で、木目も美しい。法衣に截金をおいている。明応8(1499)年に造られたことを示す記述が仏像に書かれているらしい。室町時代の仏像だ。

「普通の観光寺院とは違って、そこへ行けば清澄そのものの(山気)に触れることが出来る。ただ歩くだけでよい」

 白洲正子さんの言葉だ。

 まさしくそのとおり! 百済寺の良さは「来て、見て、感じて」わかると思う。