山の気を浴びながら下山
以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。
「普通の観光寺院とは違って、そこへ行けば清澄そのものの(山気)に触れることが出来る。ただ歩くだけでよい」
そんな白洲正子さんの言葉は、山を下りて行くときにも、つくづくと実感。
山奥の大木と、品のいい古びた石段と、樹の間から差し込む陽光に、心打たれる。
石のなんともいえない情緒に、「近江は石の国である」といった(うろおぼえだけど)白洲正子さんの言葉も思い出される。
人間のちいささも再確認。
落ち椿も、しっとりとした気持ちにさせてくれる。
山水が流れ落ちる石積みの側溝。
山の気に心身ともに洗われるようだ。
次第に下界に近づく。
視界が開けて来る。
これは最近つくられたものらしい。
この石積みも美しい。
「山の気」というのは、たぶんこの太い年を経た樹木たちが作り出しているのかもしれない。
しっかりと根を張り、
清浄な山の水を吸い上げ、
たっぷりと陽光を浴びる。
思わずなでてみたくなる、ビロードのような苔にも目を奪われた。