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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

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トップ・オブ・ザ仏像

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 仁王門には、珍しい法輪付きの鬼瓦が。

 お堂に上がらせていただき、回廊を通って仏様のお部屋へ集合し、ご住職の説明を拝聴する。

 ご住職の話によれば、奈良から平安時代にかけて十一面観音信仰が一大ブームだったそう。湖北に十一面観音が多数残っているのは、その名残だとか。何といういにしえからのものが、脈々と! 恐るべし、湖北。

(観音様の写真は「国宝への旅 1」/ NHK出版 より)

 この観音様は、2メートル弱の檜材の一木彫だ。つまり檜材そのものが、かなりの巨木で、樹齢も千年を越えるものらしい。そして仏像は平安時代初期に作られたもの。そんなに古いのに、保存状態は素晴らしい。

 その秘密は背面から内刳(うちぐり)を行っているから。そのため気温差による木の伸縮を自在にし、ひび割れが起こりにくいのだ。もともとは彩色や金箔もあったらしいのだが、度重なる戦火により村人が土中に埋めたため、すっかり剥がれ落ちて黒い観音様になったという話だ。なんとはなく、スペインの黒いマリア像を思い出した。

 ガラスケース越しではなく、近くまで寄って拝観することができる。リアルご対面だ。しかも光背もないので、観音様本体が360度から拝見できる。この観音様にお会いするのは、3回目だろうか。近々には3年前に、れんくみさんと一緒に見ているのが最後。

 360度から拝見できるおかげで、さらに光背もないため、真後ろの「暴悪大笑面」という顔もじっくりと見られる。初めて見たときは、驚愕しましたよ。だって、真後ろとはいえ、観音様にこんな顔がついているなんて! 

 この観音像は元々、都に疱瘡が大流行して死者が相次いだため、聖武天皇の勅願で制作されたもので、白山信仰の祖である泰澄大師によるものらしい。

 その後は泰澄が開いた、慈雲山光眼寺というお寺が所有してが、戦国時代に織田信長浅井長政による姉川の戦いで、堂宇は焼失してしまった。しかし、観音様だけは、住職と門徒たちに土に埋められて守られたのだ。寺はなくとも仏は残る。信仰とはそういうものなのか。

 しかしこの美仏に、実は一部欠損があることは余り知られていないのかもしれない。ご住職の話。

「明治33年の写真には、左手にお持ちの水瓶(すいびょう)から蓮の花がでているのですが、今はございません。どなたかが、記念に持ち帰られたようです」。

 ご住職はさらりとおっしゃったが、これは怒りやクヤシさを滲ませるよりも、よけいに伝わるものがあった。読書会のみなさんも、いたく心を痛められた様子で、帰りの回廊に蓮の花があった頃の観音様の写真を、足を止めてしげしげと眺めておられた。

 「記念に持って帰られた蓮の花」は、セパレートされ無意味なものになってしまったのでは。そんなこんなの人間の愚行をも、真後ろのお顔は笑っているのかもしれない。

 読書会の方々は、好奇心旺盛で説明への反応もいいため、ご住職も気分よくお話できたのではないだろうか。めいめいお礼を述べながら、爽やかな晴天の下、バスへと戻る。