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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

己高閣(ここうかく)

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 ものすごい気さくな本日担当のおじさんが誘導してくださり、己高閣に入る。テープで説明を聴き、各々がじっくりと拝見する。

 己高閣は、昭和38年(1963年)に、鶏足寺の宝物館として建てられた。

中には、本尊の十一面観音菩薩像や七仏薬師像などのお像が納められている。(写真は観光看板より↓)

 十一面観音像は、平安時代前期の作とされ、木肌の見える素朴な風情がいい。装飾がほどんどないのが、「自分のことより他人が大事」的で安心して頼れそうだ。人々の苦しみを救い、あまねく願いをかえてあげようという「悩みも願いもどんと来い!」的なお力を感じる。

 脇に並んでいる七仏薬師のお像は、六地蔵のように同じではなく、それぞれにお顔がちがって、ユニークだ。なかにひとり、「へうげもの」がいたように記憶している。(写真は観光看板より)

 この七仏薬師は、かつて鶏足寺の別院だった法華寺のご本尊だったものらしい。7体そろっていらっしゃるのは、他に千葉のお寺にあるだけとか。

 これらは類例が少なく、平安後期の作という稀少なお宝なのに、県の指定文化財止まりなのが不思議だった。お世話役のおじさんによれば、地元の方が知らずにピカピカに磨いたから重要文化財指定から外れた、という悲喜劇に見舞われたとか。いや〜、平安後期とは思えないキレイさだったのは、そのせいですか! ここでも「きれいにするほど、文化財としての箔は落ちる」という見本が。村人の篤い信仰心や献身的なお世話が、文化財としてのランクを下げるとはね。皮肉なもんです。なんとなく「肩書きなんてくだらねえ」という手塚治虫の「ブラックジャック」を思い出した。

 

 ところで「法華寺」といえば、関ヶ原の戦いで敗れた西軍の総大将、石田三成が幼いころ、お小姓をしていた寺院だ。そこで秀吉に出会った三献の茶の話も有名。三成は、寺に立ち寄った秀吉に、最初はぬるめのたっぷりのお茶をさし出した。そして二番目は少し熱く、最後は熱々のお茶を出して、秀吉を感心させた、という話だ。

 己高閣には、他にも不動明王多聞天などのお像がお祀りしてあり、ここでもベルトのバックルみたいな「獅嚙(ししがみ)」を見た。