近江の天満宮
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バスの中から赤い鳥居が見えて来ました♪
天満宮跡? 菅山寺? つまり「菅」って、あの菅原道真の敬称である菅公のことですか?
車がやっと通れるくらいの道を、郵便配達人の赤いバイクの隙を縫って歩く、賑やかな一行。
青空や緑の山に映える鳥居の赤。
菅山寺の山号は「大箕山」らしい。もともとは大箕寺という名称だったそうだ。近くには余呉湖があるらしい。湖北もずいぶん奥の福井寄りだ。
余呉湖のちかくの村で生まれた菅原道真が、6歳の頃(850年)、菅山寺・信寂坊の阿闍梨、尊元和尚の弟子となり、道真の名を賜ったらしい。
その頃、都に菅原是善という有能な公家が、後継がいずに悩んでいたが、霊告をうけて道真を養子にした、ということから寺の由緒が始まる。
その後、朝廷の実力者になった菅公は、故郷の懐かしい寺を参詣し、再建復興されたときに「大箕山菅山寺」と改められたのだ。
余呉町のマンホールは、アジサイ。町の花がアジサイだから。かわいいデザインだ。
道端には清らかな山水の流れる細い水路があり、雑草の中に羊歯やユキノシタが混じっている。
昆虫や植物に詳しい読書会会員の方がいらっしゃり、この花の名前も教えていただいた。残念ながら私の記憶力では、ほどなく忘れてしまったが、今一度調べたら「ニゲラ」という花らしい。初夏に相応しい爽やかな花色だった。
梅鉢紋の弘善館へ。
菅山寺へは徒歩50分かかるので、かわりに寺宝の資料館でもあるここを訪門。お守りなども販売している。
看板には注連縄も。
ん?? 天満宮は神社、菅山寺は寺院、注連縄は神社のものじゃなかったっけ? やはりこの辺りは、いまも神仏習合が色濃く残っているのだ。
弘善館の前には、梅林になっている。天満宮といえば梅ですからね。
さて、中へ入ってみましょう。菅公の像をはじめ、ゆかりの品々や不動明王や狛犬なども展示されているのだか・・・思わぬ場所で思わぬお方と再会してしまった! 4年前の秋に、れんくみさんと行った「湖北の観音展」で、数ある観音さまの中でも異彩を放つお方だった。その時の記事はこちら。(←青字をクリック)
この観音ばなれした「なんか用があんのか、われ〜」的なまなざしは、一度見たら忘れられない。
そんな感動の再会を果たした弘善館なのだった。
ところで今年の冬、私は東京芝にある増上寺に行ったのだが、そこに徳川家康の命によって菅山寺より寄進された宝物がある。その、かつては菅山寺にあった「宋版一切経七千余巻」は、現在国の重要文化財になっている。東京大空襲で灰燼に帰すことなく済んでよかった。
次の場所へ行く途中に、有名な水飴屋さんに寄り道。ときならぬ団体さんのお客に、家族経営で販売されているらしい飴屋さんのレジはてんやわんやだ。
ここの水飴は、甘味が麦芽糖のみなので、ほんのりとしたやさしい甘さで、購入者続出だった。なお、水飴はちょっと・・・という私のようなものぐさにも、ふつうの粒になった黄金色の飴も用意されている。もちろん購入しましたとも。
お土産用に梅味のも。
現役の藁葺き屋根の家も健在だ。