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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

人間が神仏を交代させた。

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龍神拝所では、もちろん「かわらけ投げ」もしましたよ。  手のひらに乗る大きさの素焼きの小皿「かわらけ」を購入。  鳥居を目指すも、  2枚とも届かず(汗・予想通りだが)  小中のスポーツテストで、「ボール投げ」の距離が極端に短かった記憶が甦る。  でもまあ、ここに来たらこれをしなきゃね。経験だけで満足。  絵馬は、大は龍と弁天さま、小は白蛇さまのかわいい絵柄。  向いにある竹生島神社(正式名:都久夫須麻神社)の本殿は国宝。慶長七年(1602年)に、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させているから、豪華絢爛。当然、内部は撮影禁止。  なのに、せめてもの外観からの写真を撮るのを失念(汗)   交通安全・開運厄除の神様と言われている゛市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)”や、五穀豊穣・商売繁盛の神様として広く信仰を集めている”宇賀福神(うがふくじん)”など四柱の神様を御祀りしているそう。  そもそも竹生島宝厳寺」は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧・行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まり。ビッグネームが関わる寺院だったのだ。(緑字は竹生島宝厳寺HPより引用、参照)  ところが明治時代、この島は大きく変化し、当山より都久夫須麻神社(竹生島神社)が分かれた。古来、現在の神社本殿を当山は本堂とし、本尊大弁才天を安置していたが、明治元年(1868年)に発布された『神仏分離令』により大津県庁から、当山を廃寺とし神社に改めよという命令が下ったのだ。  しかし、全国数多くの信者さんたちの強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すことに。本堂のないまま仮安置の大弁才天も、昭和17年、現在の本堂が再建された、ということだ。つまり、もともとは寺院だったわけで、ここにも廃仏毀釈の嵐が。  仏さまは住まいを奪われ、神様は豪華だけど仕様の違う家に住むことになり、どちらにとっても迷惑な話だと思う。  6月は、「茅の輪くぐり」ができてちょっとお得感も♡