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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

路地や辻子(図子) その1

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 次なる目的地「御霊(ごりょう)神社」に向かいつつ、小嶋先生に辻子(=図子/ずし)を案内していただく。

 京都の道はいろんな種類がある。

 「大路」は平安京など都の「条坊制」に則って作られた、いわゆるメインストリート。「小路」は「大路」に準ずる通りで、「条坊制」ののちの時代にも作られているのが、大路と違うところ。「路地」は住宅造成の過程でできた空間的な面。本来は行き止まりだけど、利便性から通り抜けできる路地も増えた。「辻子」は、屋敷やお寺など広大な敷地跡に、のちの時代に生活道路として作られた道。

 辻子みたいだけど違うそうです↓

 京都の家の屋根には、魔除けの鍾馗(しょうき)さま、玄関口には厄除で祇園祭ちまきが掛けられているのが定番。

 鍾馗(しょうき)さま、みっけ!

 いかにも年代物のいわくありげな小径。

 ちまき、みっけ!

 電信柱と電線が、くっくりと影を落とす路地。

 神社の結界が見えて来ました。

 横縞の入った塀の切れ目には、注意深く細い注連縄が張られている。

 「真如堂突抜」? 

 そうそう、「突抜」という種類の道もあったのでした。

 「突抜」は、辻子と違い跡地ではなく、小路レベルの通りがなんらかの事情で寸断されたり、もともと行き止まりだった部分を突き抜けるように通した路をいうそうだ。ここもだから「真如堂突抜」。

 

 「御霊神社」に到着。

 「御霊神社」って、来た事はなかったけど、字面から見て、なんかこわい感じがしていた。

 こころなしか、注連縄もきっちり手がかかっているように見える。

 そんな私の予測は、あながち的外れでもなく。

 昔は災いは怨霊のしわざだと言われていたが、御霊神社は、桓武天皇が非業の死をとげた早良親王の御霊を祀ったことが発祥とされている。大きな災いをもたらす忌まわしいパワーだが、祀る事により霊をなだめ、浄化したパワーで福をもたらせてください、という神社をつくったのだ。

 ということで、無念の最期をむかえた人々をひとまとめにして祀っちゃえ! その方がパワーも倍増するし♪・・・と御霊神社ができたらしい。

 うーん・・・なんとちゃっかりと。怨霊からも利益の捻出をはかるとは! げにおそろしきは、生きている人間なり。