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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

御霊神社 その2

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 御霊神社には、さまざまなモニュメントがある。

 まずは「広辞苑」の編者、新村出氏の歌碑。

 すっかり擦り切れてしまったこの石碑は、

 

 江戸時代の国学者神道学者、歌学者でもある富士谷御杖(ふじたにみつえ)の詞碑。

 といわれても、知らんお方だけど。

 こちらはどなたもご存知なビッグネーム、松尾芭蕉の句碑。

 芭蕉が参拝した折りに奉納した俳句、「半日は神を友にや年忘レ」が、彫られているそうだ。

 この文化的モニュメント近くにいらっしゃった狛犬さんたちは、いたって天真爛漫かつ素朴な、私好みの方々だった。

 こちらは伏見城から移築したといわれている四脚門。

 遅ればせながら、案内看板も。英語、中国語、韓国語でも読む事ができます。

 応仁の乱、発祥の地とは。やっぱり怨霊の・・・(汗)

 そんな謂れのある神社の向いには、ひっそりとした和菓子屋さんがある。

 ひっそりとしてはいるが、やんごとなき方々御用達のお店。水田玉雲堂さんは文明9年(室町中期!)創業の老舗。創業から現在まで500年以上もの間、「唐板」のみ!を作り続けてらっしゃる。

 「唐板」とは、千年以上の歴史を有する疫病除けのお煎餅のこと。平安時代の初め、疫病を起こす疫神や怨霊を鎮める祭礼「御霊会(ごりょうえ)」が「神泉苑(しんせんえん)」で執り行われた際、時の清和天皇が人々に振る舞われた疫病除けの煎餅が「唐板」のルーツらしい。

 応仁の乱で御霊会は途絶えたが、のちに御霊神社境内に茶店を開かれた水田玉雲堂さんのご先祖が、古書を頼りにその製法を再興。疫病除けの煎餅として御霊神社の名物となった。明治維新まで、皇室では皇子が誕生すると御霊神社へお参りし、唐板をお土産にしたといわれている。

 皇室関係者でない、そして裕福でもない一般庶民でも、普段使いの袋入りの「唐板」を700円で購入することができる。700円で皇室気分を味わえる、かもしれない。さすがは千年の都、京都である。