辻子をめぐる。その2
後藤辻子は、室町幕府に使えた金工細工師の名がとられたもの。後藤家は、刀剣類の目利きにもすぐれた豪商で、金座銀座をまかされていた。そんな後藤家の名をつけた辻子。
「花の御所」と呼ばれた室町幕府ゆかりの地だから、「花の湯」なのか。それにしては、ちょっとチープな気も・・・。
道幅が変化している?
そう、道幅が奥に行くほど細くなるのが、辻子の特徴らしい。
レトロな「お酢屋」さん。いかにも京都らしい専門店。粋な形の「す」の灯が素敵。
こちらの辻子も、だんだん細くなっている模様。
光照院門跡。
応仁の乱の後、1477年後土御門天皇から持明院殿跡に寺地を賜わり、それが現在の光照院となる。代々皇女が入寺された尼門跡寺院で、江戸時代には光格天皇より常磐御所の称号を賜った。
やはり皇族ゆかりの場所らしく、菊花の瓦がふんだんに使われている。
松が邪魔して読めない案内板(汗)。普段は非公開だが、庭園の歴代門跡お手植えの樹齢五百年の五葉松が、無類の美しさらしい。常磐御所の「常磐」は、五葉松のことなので、それにちなんで。特別公開のときには是非。
「近衛」の名は、町名にもその名を残している。
そして現代のアパート?の名前にも(汗)
はるばる一周まわって、同志社大学に戻ってきました。
鎌倉時代に成立した公家のトップファイブ「五摂家」の筆頭「近衛家」は、「近衛の糸桜」という美しい枝垂桜でも有名。
そんな「近衛家」の名残がここにも。
「花の御所」に近い銭湯だから「花の湯」。京都は学生の町だから、ずいぶん減ってはいるものの、まだかろうじてがんばっている銭湯もある。
ほんの一部にせよ、こういう保存の方法もあるのだ。
せっかく同志社に戻ったのも束の間、またしても暑さの中、行軍はつづく。
こちらではしっかり「御霊図子町」と明記されていた。
先に行けば行くほど狭くなる、典型的な辻子のモデル。
代々室町幕府の要職にあった畠山氏の居館敷地の名残か。畠山氏が「花の御所」のご近所に住んでいたのは、幕府での地位の高さを物語っている。という格式高い話に、この無粋な写真(汗)